[ 2010年 11-12月 ]

11月21日 (日) ・・早朝Am06:00サイトアップ 

10月3日以来の更新・・・やはり、とほほっの結果である。
昨日付けで写真集ブログの方も久々に更新したのだが、日記が分散しているよね。
今年3月の写真集発売以来は、どうしても写真集ブログ優先になってしまい、しかもあちらはシステム的になっていて同時に関心空間だったり、ツィッターとも連動しているので、ついつい写真集ブログの方を更新してしまう。
まぁ、どちらも変わらないので両方を気ままに眺めてくださいましです。

もうすでに・・・11月下旬。写真集ブログでも触れたけれど通常の音楽写真活動とともに、広島、熊本と写真展&講演をしていた。講演だけだと身ひとつでフットワークが軽いのだが、私の場合の存在理由としてどうしても写真がつきものになる。
然るに展示作業も搬送も段取りも、かなりの仕事量になるので、ひとつひとつ丁寧にの牛歩の足取りとなっていく。

それでも、確実に歩んでいる実感と伝わっている実感を直接受け取れるので来年も引き続き続行していく予定。

広島では新たな撮影取材を始めた・・・「被爆者50名」を撮り、お話しを一人ずつ丁寧にお聞きし、彼らが犠牲者という側面だけでなく65年もの歳月のなかで「傷ついた身体と傷ついた心」を内包しながら生き続けてきた事実と心を表現したいと思っている。
それは、やはり「もうひとつのスーダン」と同じように、「どんなに苦しくても、乗り越えて生きていく生命」を伝えていく為に・・・。国も場面も違うけれど私のテーマは変わらないのである。
被爆者の方には、65年生きてきた勲章である生命を写真に写し込みたいと思っているのである。
・・・この表現で、安易に平和を唱えたくもないし悲惨な犠牲者だけの側面を捉えたくもない。
被爆者お一人おひとりの人生に精一杯の敬意を表すような写真に仕上げていきたい。


広島では、上の中国新聞さんや地元のテレビ局の広島ホームテレビ、RCC中国放送などで写真展のことや被爆者撮影のことをニュースで取りあげて頂いた。本当に感謝・・・そして被爆者の方達への交渉も地元広島の方達が全面的に協力して頂いている。
ほんとうに感謝、感謝なのである・・・スーダン渡航時の時と同じように撮り始めで皆さんにお知らせしていくのは途中で挫折した場合に非常に恥ずかしいので控えたいのだが、やはりスーダン同様に恥をさらして中年爺さん男は生きていこうと思うのだ。
・・・スーダンも4年後に写真集発行まで辿り着いた。2006年当時には考えられなかったこと。
このヒロシマも何年掛かっても辿り着いてみせる決意表明なのだ。今後もアホな爺さんに付き合ってやってください。

そしてスーダンに引き続き、これもまた写真集ブログでも書き綴ったけれど、次の写真集はカンボジア。
一つずつ丁寧に確実に皆さんに伝えていきたいと思う。それは、もちろん娘や来年20歳になる息子たちの世代の為に・・・。

そして今夏、爺さんになった孫たちの世代の為に全力で精一杯生きぬいていくのだ。

ところで・・・今月のTOP写真は、9月にスーダンで撮影したもの。
皆さんのお手元に、届いているだろうか? 2011年度版カレンダー。こちらでは、まだ告知してなかったのでしておきますね。


いかがですか?   これまでと違う感じしません?
第2章にふさわしい挑戦をしました。
これらの購入は、ロシナンテスホームページ と今秋の川原講演会各所で販売していきますので、よろしくです。

そして、もうひとつのカレンダーは、カンボジア森本喜久男氏率いるIKTTのカレンダー2011年度版。
こちらも昨年に引き続き、私の写真を使用してくださいました。
私は、現在も今春発売された「もうひとつのスーダン」に引き続き、カンボジアIKTTの写真集の発売を目標に日夜動いています。
詳しくは IKTT JAPAN >>http://ikttjapan.blogspot.com/
この「IKTTカレンダー2011」は、10月下旬には完成予定です(予価1,000円)。
 都内では、例年どおり、神保町のアジア文庫 、高円寺の茶房・高円寺書林 、西荻窪の信愛書店 さんなどに取り扱いをお願いする予定です。また、11月中旬以降、国内各地で開催される予定の展示会・報告会の会場でも販売いたします。
 上記の各会場でお求めになれない方は、information@iktt.orgまでお問い合わせください
〔@を半角に変換してご送信ください〕


久しぶりなので、まだまだ告知は続きます。先月10月でもお知らせした今後を見据えたi-pad仕様のデジタル写真集無料試作品。
まだまだ調査段階の手探りなのだが、この機会に、どんどんダウンロードしてほしい。告知不足もあって、まだまだダウンロード数が僅かなのである・・・しかるに有料のデジタル写真集まで辿り着けない。ひとつ・・・みなさんのご協力をお願いいたします。
これが軌道に乗るとスーダンやカンボジアそしてあらゆる写真が即座に皆さんに見て頂ける環境が整うという感じ。
しかし、私はあくまでデジタル写真集と併行して、やはり紙に印刷された香りのある、そして手元にある実感を感じる写真集も出し続けていきたいと思っている。・・・ひとつ、よろしく。  iPad Zine >> http://www.ipad-zine.com/b/633


今日は、久々なので長くなってしまった。嘘つきの私だけれど、次の更新ではミャンマーで拘束された山路徹氏のことや、この秋連続して発売されたSPITZと浜田省吾のお話しと気合いを書き綴っていければと思う。


11月22日 (月) ・・早朝Am05:00サイトアップ 

昨日、大方の写真仕上げが落ち着き久々にこのホームページの更新をした。
そして昨日から、ずっと中沢啓治さんの「はだしのゲン」の大量の資料を見て、いろいろ整理をしていた。

昨日の新聞でもお伝えしたように、10月に広島で6名の被爆体験者の方の撮影取材をした。
これからお一人ずつの写真と、お聞きした体験談をていねいに仕上げていって東京の出版社に、やはり裸一貫の売り込み作業をしていく。どなたか? 興味をお持ちの方・・・遠慮なく連絡してきてください。

そして深々と資料を見ているうちに思い出した・・・何年か前に「この取り組み」を示唆するようなことを、この日記に記したなぁということを・・・。
2005年8月6日の日記を見てほしい・・・やはり、書いていた。5年前に示唆していたことが今年動き出したということなのだ。
その間に、川原医師と出会ってスーダンにも行き、そしてカンボジアにも通い始めた。そして日頃は、音楽写真に没頭する日々を過ごしてきた。しかし、5年前に確かに、もう心には芽が出ていたのだと確認できた。
考え方も取り組み方も、あの時に思った心と変わらない。このヒロシマを終えることができたら、今度はパールハーバーで犠牲になられたご家族からお話を聞き、写真を撮りたいとも思っている。

今回の6名の方の中に幸運にも中沢さんの撮影取材も実現した。
お電話で、ご挨拶した時に彼は本当に体調が悪そうだと察した。そこで撮影する前にじかにご挨拶に伺った。
いろいろお話しして約1時間・・・取材を受けてくださることとなった。
そして取材当日、歩くにも不自由な身体なので家までお迎えにいく。「今日はよろしくお願いいたします」「はい」と弱々しく応える中沢さん。「実は一週間前に肺の手術をしたばかりなんじゃ」・・・話す言葉も息切れしてらっしゃる。
「大丈夫ですか?」「うん、大丈夫じゃ」
それからお話しを約1時間半、そして撮影をした。
途中、何度も涙が溢れそうになる・・・しかし、聞く。広島で生まれ育った僕には耐えることのできる悲惨な話しと魂の話。
中沢さんの大きな偉業には足下にも及ばないけど、若輩の私も確かに引き継ぎたいと思う。

中沢さんを始め、取材させて頂いた皆さんからの気迫を感じている。
「少しでも多くの人に伝えてほしい」・・・皆さん、体験を話すことは、とても苦しいこと。
数年前までは絶対に話さないという方も沢山いらっしゃる。それは、「自分だけが生き残ってしまった」という罪悪感。
そして「人に話すのにはあまりにも悲しすぎる体験」・・・それを乗り越えて、70歳から85歳の方々から生命を振り絞るように発せられる言葉のひとつひとつ。

私は確かに受け取って写真屋の役割を少しでも果たしたいと思う。

僕の視点は、日本でもアメリカでも世界中の何処でも犠牲者がいらっしゃって、その後の人生を「どのように生きてきたか? どんな苦しみを乗り越えてきたか? どんな幸せの瞬間に巡り会えたか?」を、今自殺者3万人を越えるこの国に伝えたい。
そして我々の世代に、子どもたちの世代に、孫たちの世代にまで伝え続けていきたいと思う一心なのである。

ここもまた牛歩のような活動になると思うのだが、その分丁寧にひとつひとつに魂を入れて歩んでいきたいと思う。


「はだしのゲン」の資料を見ていて、ふとっ・・・5年前の日記を思い出した。ここに続いてきた自分が確かに5年前にいた。
これからの撮影で、何度となく原点を噛みしめるために5年前の日記を読み返すことだろうと思う。

このホームページに何気なく綴っていることの意味を感じた・・・また、資料勉強に帰る。