[ 2009年 07月 ] | |||||||||||||||||||||||||||||
07月01日 (水)・・・早朝Am6:40アップ |
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スーダンから帰国して早いもので6日が経った。 日記の更新もしたかったけれど、病院やらライブ撮影やら仕上げ・プリント作業やら・・・相変わらずのいろいろで、7月に突入。 スーダン滞在中は、病気の結石くんは、どうにかおとなしくしてくれていた。 スーダン渡航前もハードな毎日だったけれど、スーダンに入ってからも今回は滞在日数が短いためにフルに動いた。 到着翌日には、川原医師1ヶ月半ぶりのスーダン帰国に合わせての現地スタッフによるミーティング。 朝9時から始まった会議は、昼食を挟んで午後4時過ぎまで続いた。 この半年間の動きや問題点や目標などが会議を聞いているとよくわかる。 そして、そのまま500km離れたガーダーレフ市事務所へ・・・到着したのは深夜になっていた。 そして翌朝にはハサバッラ村へ・・・途中、尿管あたりが少し痛みだす。心配である。 しかし到着してすぐに開校式を控えた女子学校へ、そして巡回診療、診療所にも行く。 痛みは熱中した撮影をしていくうちに無くなった。 ・・・こうして毎日がフル活動。 僕は渡航前日深夜までスタジオでの撮影。川原医師は小倉から大阪、そして東京・・・そして関空で合流の渡航。 わずか2日前まで慌ただしく日本で動いていた2人・・・ハサバッラ村の電気のない満天の星を見つめ瞬間移動でもしてきたような不思議な感覚に包まれる。しかしスーダンでの日程は始まったばかり。 今回は、前の日記でも記したように短期間に盛りだくさんの日程。 女子学校開校式、給水塔修繕の完成、ロシナンテススポーツ事業のサッカー、そして核となる診療所。 ロシナンテスの活動が始まって4年。ハサバッラ村診療所が開設して2年。 絶えず動き続けているロシナンテスの活動・・・そして活動の幅も広がった。 医療から始まった活動は、病気を減らしていく為への水質改善、そして教育、そして農業、そして夢ある形としてサッカーでの交流。 より立体的にスーダンの人々と共に歩んでいく姿。今回も何度も何度もスーダンの人々と抱き合った。 渡航の様子は、ロシナンテスホームページでも川原医師とスポーツ事業部の各ブログに飛んでみてください。 http://www.rocinantes.org/ ・・・なかなか・・・おもしろっす。 そして、今一生懸命プリントしているひとつは、7月11日に開催される「弟1回ロシナンテスカップ」のフットサル会場で写真展示されるもの・・・今回撮影してきたサッカー関係の写真約30点と、診療の様子を捉えた出来たてホヤホヤの写真約10点、そしてこれまで発表してきた写真を加えると約70点近い写真を会場で展示します。 どうぞ皆さん、7月11日には「弟1回ロシナンテスカップ」に参加してみてください。フットサルしなくてもOK。ただの観戦でも大歓迎で川原医師も、またまた帰国して皆さんを迎えます。 しかし僕は残念ながら沖縄の綺麗な海の上でプカプカ予定・・・申し訳ない。しかし写真の力作がお迎えします。 詳細はロシナンテスホームページより >>> http://www.rocinantes.org/ 今回のふんだんにあった出来事は追々と記していきたい。 P.S あっ・・・忘れてたけれど帰国の翌日には病院へ行ってきました。 渡航の前々日に受けたCT検査の結果を聞く為に・・・結果は、やはり石クンはありました。しかしCT検査を受けた12日の段階で、かなり下の方に降りてきていて峠は越したようです。 ・・・なのでスーダンで感じた下腹部あたりの痛みは確かに石クンの存在。しかし強烈に痛いところは過ぎていたのでセーフと言ったところでした。後は異常なし。流れ落ちるのを待つのみのところまで来ました。 が、しかし・・・今回はスーダン渡航から帰ってきた関空あたりから、強烈な下痢に見舞われていました。 ちなみにスーダンでは例によって毎日、快食快便。スーダンでは本当に健康な毎日が送れるのです。 嘔吐も熱も痛みもなく、ただ催してはトイレに行って「ジャー」の状態が一昨日あたりまで4日間続き、まるでおしっこをしているような状態。多少の菌と溜まりに溜まった疲れが重なったのかと思います。こんな時はヘタに薬を使って固めてしまうより出すだけ菌を出し切ってしまうというのが適切と思い、出すだけ出してやりました。 昨日あたりから下痢は止まりつつあるのでご安心を・・・それにしても尿道から石クンを出さなきゃいけないのに、後ろから人間にはこれだけもの水分があるのだろうかというくらい出ました。下痢が落ち着いたら今度こそ尿道から石クンが出るよう頑張りたいと思う日々なのでした。帰国早々に下ネタばかりで、すいませんっ。お恥ずかしい限りです。 ・・・なので、帰国翌日の病院、そして27日のライブ撮影はしんどかった。この撮影も新たな撮影。 お伝えできるようになったら報告します。そして今週末は浜田省吾仙台。 訳の分からない身体を抱えたまま、自分ではどうにも調整付かない旅はまだまだ続いていきます。 ただただひたすら父親は、責任ある大人は進むのみ・・・なのです。 |
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やはり・・・基本は巡回診療。
今回は時間を見つけては巡回診療する川原医師を撮影した。 巡回診療のなかで改めて、村々にある問題も浮かび上がってくる。 学校開設、水事業、母子保健、農業、スポーツ事業、診療所運営・・・ しかし根幹にあるのは病人と向き合うこと。 改めて基本の道を見つめ直そうとしている川原医師の行動と姿に深々と胸が震えた。 2009年6月17日撮影 シェリフ・ハサバッラ村 巡回診療先にて |
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2009年6月19日撮影 シェリフ・ハサバッラ村 巡回診療先にて | |||||||||||||||||||||||||||||
07月03日 (金)・・・早朝Am6:40アップ |
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突然だが・・・昨日、友人のお通夜に参列してきた。 なんだか・・・とっても悔しかった。とっても哀しかった。 この数年、彼と会っていなかった。 僕はこれまでの音楽写真の仕事をしながら、皆さんご存知のアフリカやカンボジアやらの新しい取り組みを始めている。 そこに時間が取られている分、それまで会っていた友人たちと会う時間が本当に少なくなってきている。 その反面、多くの出会いも重ねてきた。ひとつを得ればひとつを失う。 僕は、それで良いと思っている。しかし・・・喪失感が僕を襲う。 あと10年、15年後に・・・お互いに爺ちゃんになって、またゆっくり時間を一緒に過ごしたかった大切な友人だった。 友人と言っても僕の13歳年上・・・63歳での別れ。 初めて会ったのは、僕が32歳・・・彼が45歳。今の僕の年齢より若い時だった。 田舎暮らしを始めた僕にとって、田舎で初めて会った本物の田舎人。尊敬すべき田舎人。誇りを持った田舎人だった。 村に生まれ村で育ち、自然というものとの付き合いやエコロジーというのも恥ずかしいくらいの自然に寄り添った謙虚な暮らしをしている人だった。その友人宅でしか食べれない食材が沢山あった。すべて自然からの恩恵。 今の流行の嘘っぱちだらけのエコロジーブームなど足下にも及ばない堂々たる永続的な暮らしを教えてくれた良き先輩、良き兄貴、そして良き友人だった。 ただ「おいしいっ」からと自分の田んぼで採れた米を昔ながらの天日干しをしていた。 おいしいお茶も自分の敷地で栽培していた。根っから身に付いた自然児だった。山菜採りにも何度も連れて行ってもらった。 彼が釣ったアユもサケも何度も御馳走になった。自分で育て殺生し自ら捌いた鳥や豚も何度も御馳走になった。 花も食べた、野草も山菜も食べた・・・知り尽くしていた。 北海道で食べるイクラよりおいしいイクラも毎年のように頂いた。価値観もしだいに変わっていく、気付かされていった。 それらを肴に大いにおいしい酒もたくさん呑んだ。 にわか田舎暮らしやエコロジーなど吹き飛ぶくらいの尊敬する百姓・・・本物だった。 百姓は一部では差別言葉で扱われるようだが、精一杯の尊敬を込めての「百姓」だった。 「百姓」とは、元来・・・百の姓を持っているというもの。すなわち何でも出来る百もの職業というか、百もの技を持っているという尊敬語だと僕は思っている。自然の中から魚も野菜も山菜も何でも採れる、見分ける技を持っている。マッチがなくても火が熾せる、木の特性を知っている。花の特性も知り尽くしている。蜜も採る、リンゴや柿やプラムや梅やカボチャやナスやキュウリやスイカやイチゴを受粉させ実を成らせる方法を熟知している。 大工もできる、水道配管も電気配線もできる。まさに「百の姓」だった。 彼は「自然に生きること、自然と共に生きること」を、なんの気取りもなく見事に実践していた。 今のにわかのエコロジーやら自然暮らしなど到底及ばない深い深い知恵を教えてもらった恩人である。 政府が進めるエコポイント、メディア各局で流されるエコな暮らし・・・商売になるからこぞって繰り広げられるエコロジーブームによる商売。そうやってまた大量に物が売られ大量に物が捨てられていく。なにが・・・エコだと思ってしまう。 エコポイントによって家電を買って還元金が出されようが、大量に消費されていることを助長しているとしか思えない。 2011年から、ある意味脅迫のように始まる地上デジタル放送・・・大量にアナログブラウン管テレビがゴミとなる。 そして企業にとっては格好のデジタルテレビの稼ぎ時である。 経済発展の大量消費社会とCO2削減の為の節約エコロジーは、どう考えてみても真っ向から対峙している。 矛盾だらけのエコロジー、エコロジーを推進していくと皆がもったいないからと買い控えが起きる。 新しい服を買いたいけど、もう1年我慢しよう。新しい車が欲しいけれど、もう2年我慢しよう。 そうやって少しずつ消費は落ちていく・・・経済成長は鈍る。失業が増える・・・悪循環。 もう少し謙虚な暮らしが出来る場所がある、人間本来の力強い知恵がある。 たくさんのヒントが、そこにあると感じた。教えてくれた。 ・・・亡くなった友人が教えてくれた。 だから僕は今、スーダンでもカンボジアでも感じる謙虚な暮らしと力強い知恵と生命力を感じることができているのだと思う。 僕は、今必死に慌ただしく生きている。生命を燃やし尽くしたいとも思っている。 そして、ぐるっと回って65歳くらいになった時、友人78歳で・・・のんびりとしみじみと同じ爺さん同士、彼の食卓でしか味わうことの出来ないおいしいおいしい肴で、チビチビおいしい酒をまた酌み交わしたいと思っていた。 大切な大切な友人だった。良き兄貴だった。良き親父だった。 口は相当悪かったけど純粋で、真っすぐな人だった。憎まれ口を叩くところも好きだった。 悔しかった・・・あとのまつりである。 今日、僕は仕事に行く、ひとつずつ仕上げていく。今日彼の告別式・・・行けない。 でも・・・ありがとう。少しでも・・・受け継ぐ。 |
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今年の3月の日記でも掲載した写真・・・またここでも載せたい。
この何処にでもある森や林や自然の無限の可能性を教えてくれたのは、友人だった。 それは確かなる太く生きる知恵も内包している。 |
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スーダン連載をしようと思っていたが、思わぬところに行ってしまった。 次回から軌道修正してスーダン報告します・・・どこから報告しようかな? 給水塔補修事業、女子学校開設、スポーツ事業のサッカー、そして汚れた水・・・。 待っててねっ!! |
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07月07日 (火)・・・Pm09:30サイトアップ |
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先日7月4日には仙台で浜田省吾ファンクラブツアーが終わった。 なんだか・・・しみじみと幸せを感じた。 浜田省吾の歌声の伸びやかさ、しなやかさ、生命感、そして艶やかな声。そしてファンクラブツアーにも関わらずバンドに弦15人を加えた超贅沢な編成による全国ツアーだった。ロックのサウンドにクラシカルなサウンドが重なり素晴らしいアンサンブルが会場に響く。素晴らしいサウンド、素晴らしい音響、素晴らしいパフォーマンス。 ・・・しみじみと幸せを身体中に感じる。 自分が20歳そこそこから関わり続けている音楽が、50歳を超えても確実に自分の中心にある。 スーダンから帰国してすぐの27日には、小山卓治の撮影もした。彼も1983年から撮影しているアーティスト。 6年ぶりに本格的に撮影していこうと思っている。 そんなアーテイスト達が、僕の中でまだまだ確実に鼓動している。 そして心から共感できる・・・しみじみと幸せを感じるのである。 そして、もうひとつ・・・スーダンから帰国して間もないため尚更に日本に、こんな音楽が存在している、そして全国各地で音楽がなっていることへの幸せをつくづく感じるのである。 音楽が僕に力を与えてくれている・・・そしてまた自分が目指す場所への意欲が増していくのである。 そんな音楽があるかぎり僕は世界の何処にでも行ける勇気と力が湧いてくるのである。 そして何の脈絡もなく・・・僕は沖縄にいる。日本最南端の波照間島にいる。 七夕の7月7日・・・日本の中でも最も星空がきれいな島にいる。見事で壮大な天の川を見つめている。 この島の自然も海も星空も僕に力を与えてくれる。 ・・・と、いうことで、ここは沖縄。ここは波照間。ここは最南端。 ・・・すいません。写真もなしで今日もおやすみ。 ・・・すいません。スーダン報告は明日以降っちゅうことで。 ・・・Pm09:30に寝むれるシアワセ。おやすみなさいね。 |
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07月16日 (木)・・・Am01:30サイトアップ |
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昨日、沖縄から帰ってきた。 紛争の地から楽園へ・・・ 僕は元気です。そしてこの綺麗な海で浄化され癒されエネルギーを蓄えて帰ってきました。 明日からは、この夏・・・休みなしの日々を過ごそうと思います。 そこでも、また音楽からのエネルギーを吸収して元気に生きていこうと思います。 スーダン報告もまだしていませんが、少しずつお伝えしていきます。 明日17日は、川原医師との再会です。来年2010年度のカレンダー制作の打ち合わせをします。 当然、ボランティアですが全力で取り組んでいきます。その間も通常の音楽写真活動の毎日が続きます。 スピッツの夏イベントツアーも近づいてきました。そして新しく取り組んでいるアーティストのスケジュールもフルに入っています。近日中にお知らせします。 この青い青い澄んだ海の輝きと生命力に負けないように頑張ります。 毎年恒例になった生命と身体の洗浄のお陰で、バカみたいに真っ黒です。太陽の恵みを一杯受けて元気です。 スーダンは過酷です。やはり50度近い日々が続きます。日本人の僕には適応能力が超えた時、現地の人には寄り付かないか免疫があって出ない発疹も身体中に出ます。ご報告の通り・・・激しい下痢もありました。 その現地で受けた様々な雑菌?たちも澄んで清らかな海と太陽で洗い流し、発疹痕も下痢も完璧に治りました。 結石の石の痛みも、今はありません。まだ体内にいるような気はするのですが、後は流れ出るのを待つのみと言ったところです。 まだ徹底的に調べていく為に検査を入れています。まだまだ強く強く生きていきます。 ご心配をおかけしましたが、僕は元気です。強い強いエネルギーもあります。 今日、載っけた写真を見て生命力と美しさを感じてください。 ・・・やはり僕にとって波照間の海は、なくてはならない存在になっていますね。 P.S 報告が遅くなりましたが、先日も触れたエコということで、5月に開催していただいた鹿児島の「かごしま環境未来館」のホームページにて「内藤順司さんのエコタイム」として記事が掲載されています。恥ずかしながらですが、ぜひご覧くださいませ。 >>> 「かごしま環境未来館」ホームページ http://www.kagoshima-miraikan.jp/ なんだか環境未来館で紹介されるのが恥ずかしいくらいの「反エコ」のメッセージになっていますが、深く深く考えてほしいと思います。「反エコ」といっても、エコをしない方が良いというのではなく、今のアホな近いところしか見ていない社会や自分のことしか見てないエコは崩れ去るし自分の首を絞めてしまうということ。エコポイントも高速道路割引も経済問題。エコとは関係ないCO2を逆に出してしまう政策だと思う。そして今の企業論理はCO2を増やすことしかしていない。経済成長の為には仕方ない。 経済成長をしなければ失業や自分の給料が減っていく・・・壮大な矛盾を含んでいる。 亡くなった友人やスーダンの謙虚な暮らしぶりや沖縄での謙虚な暮らしぶりや自然が教えてくれている・・・僕らはもうそろそろ決断をしなければならない。そして深い深いほんとうの生きる知恵を身につけなければならない。どこかに雇われて自分だけは安泰と思っていては大間違いの悲惨な日々が続くことに気付かなければならないと思う。 豊かな暮らしとこのままだと続けていけない暮らしを両立させる為に、一生懸命に追求を止めてはいけないと思う。 自分だけの家庭や村や町や都市や県や国の豊かさだけに目を向けていては滅亡していく。 家庭や村や町や都市や県や国にあるほんとうの誇りに目を向けていくべきだと僕は思う。 |
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07月16日 (木)・・・Pm15:30サイトアップ
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いよいよ皆さんに紹介する時が、やってきた。 写真は今月7月29日発売になる長渕剛「蝉」のシングルジャケット。 6月の日記を見返してほしいが、尿管結石絶頂の痛みの中で撮影した1カット。 そしてこの1枚に至るまでには様々な想いの道程がある。 まずは5月22日付けの日記を見てほしい・・・>>> http://www.junji-naito.com/contents-menu-Daily2009.05.html そして1年半前の2008年1月24日の日記を見てほしい・・・ >>> http://www.junji-naito.com/contents-menu-Daily2008.01.html ただ撮影の仕事依頼がきたから、撮影をしているわけではない。 友人の魂や引き継いでいく精神や、そして僕が背負っている使命感、僕らが背負っている宿命。 そして何よりアーティストが追求している精神に共鳴して様々な障壁を超えて仕事をしていく。 撮影を続けていく・・・絶対に媚びてはいけない、儲かるからやっているわけではない・・・経済至上主義ではない。 お金もたくさん掛かる・・・しかし経済至上主義ではない。 精神を伝えていく、もっと深い何かを伝えているのが僕が携わっている音楽の世界。だから絶対に単なる芸能界ではないのだ。 僕は迷っていたけれど始めた・・・そして共に歩んでいく。継承していく。魂と生命の全力を込めて取り組んでいく。 これからメディアの露出も増えていくであろう全てを撮影していくスケジュールが組まれている。 当初5/22付け日記では本格的撮影は8月中旬過ぎからライブツアー関係からと思っていたが、5月の1回のセッションで、お互いに感じるものがあり、シングル・アルバム全てを含めて、そして彼の活動のすべてを捉えていくということになった。 休みなしの日々が続いていく。 8月12日にはアルバム「FRIENDS」が発売され、9月4日からはアリーナツアーが始まる。 すべての撮影をしていく。 長渕剛オフィシャルサイト >>> http://www.nagabuchi.or.jp/index2.html 6月の日記も見返してほしい・・・至る所に出てきている新しく取り組んでいるアーティストとは長渕剛。 スーダン渡航前日の深夜まで撮影していた・・・その写真は新聞各紙のメディアやツアーパンフレットで発表されているし、されていく。 6月に入って、そして50歳になって初めての救急車・・・そして浜田省吾や言えなかったけれど長渕剛の撮影をしていた。 そしてスーダン写真展展示も、そしてギリギリまで長渕剛の撮影を入れて、そのままスーダンという過酷な土地にへと日程が続いた・・・。 自分の生命をいじめるように、とことん撮影してきた。長渕だけではなく浜田さんもスーダンも・・・。 すべてに全力で迷惑をかけないことを誓ったのだから、尿管結石だけでは休めない。どんなに痛んでいても現場に立つ。 それで、もし生命が終わっても惜しくはない。とことん生きる。 彼のとことんの激しい魂は、今の世の中に必要だと強く思う。そして彼のほんとうの深い深い優しさも必要なのだと思う。 僕らの時代の僕ら大人の責任ある魂・・・共に歩んで表明していきたいと思っている。 浜田省吾もスピッツも小山卓治もスーダン川原医師もカンボジア森本喜久男さんも赤尾和美さんも、そしてミャンマーも僕のなかでしっかりと撮影して伝えていきたいと思う。 そして強力な心とエネルギーと役割を持ったアーティスト・長渕剛も全力で取り組んでいく。 アルバムのジャケットもすでに完成している。お伝えできるタイミングがきたら掲載していきます。 これまでの被写体に加えて、今後は長渕剛もよろしくです。 尊敬する大先輩カメラマン・大川奘一郎の名に恥じないように、精一杯の魂を自分らしく長渕剛に注ぎ込みたいと思う。 7月29日・・・僕の個人的にも大切な日に発売される新たな仕事の成果のスタート。 ぜひ「蝉」に込められた想いと音楽を聴いてほしいと思う。 |
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07月18日 (土)・・・Am05:30サイトアップ
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昨日は予定通りに川原医師と再会。 来年2010年のカレンダー製作の打ち合わせをした。 来年度は従来のデスクトップ型カレンダーに加えて、壁掛け式のかなり大きなサイズのカレンダーも作ることになった。 発売予定は9月20日過ぎ・・・これから製作していかないと間に合わない。 忙しい夏のスケジュールを縫って素晴らしいカレンダーができるよう頑張りたい。 ・・・で、深夜11時過ぎに帰宅し、何となくテレビを付ける。 全英オープンなのだ・・・深々と石川遼くんとT・ウッズのラウンドを酒を飲みながら、とうとう最後まで見てしまった。 ラスト9ホールで、ウッズとともに大崩れしてしまったが、なんだか泣けてくるのである。 ・・・しんしんとプレーしている姿を見ているだけで泣けてくるのである。 世界No.1と2日間も予選ラウンドしている姿に・・・ 彼は17歳の若さである・・・素晴らしい体験とともに震えながらビビりながら全身で素晴らしい体験をしている姿に泣けてくるのである。 17歳と言えば・・・自分の息子と同い年なのである。そんな彼が世界の第一線の中でプレーしている。 サッカーで言えば、ワールドカップの決勝リーグで若干17歳がプレーしている感じなのである。 ボロボロになりながら最後までプレーを続けている・・・やはり、その姿に泣けてくるのである。 そうして経験を重ね図太くなっていく・・・でも、これは世界というものの中で培われていくものだと思う。 これが例えば日本音楽の中で、この若さで、これだけ売れていくと必ず勘違いが起きる。そして衰退していく。 それは日本の中でしか扱われないからだと思う・・・やはり日本で長く活動をしている人は自分の年齢とともに実力を付けていくのである。そしてフワフワした人間関係や自分を冷静に見つめられていくようになるのである。 しかし・・・世界があるゴルフの世界では、ワールドツアーをしていると日本の価値だけでは考えられない体験を幾度となくしていく。それが若くても謙虚な感性と姿勢を育て、よりもっと高見の世界を見つめ経験していく知恵を自然と身につけていくのだなぁ・・・と思う。 息子と同い年の石川遼くんをついつい親身になって応援してしまう・・・親心である。 ラウンド中やプレー後のインタビューも立派に応えていた・・・しかし、ホテルに帰って一人になった時は泣いていいよ、と思ってしまう。 世界No.1とさっきまでプレーしてたこと・・・ 全英オープンの厳しさを身体で味わったこと・・・そして、思いっきりの悔しさ。 ひとりで泣いていいと思う。 ・・・と、感動して思わず朝方4時まで見てしまった。ヤバい・・・仕上げ作業が控えてる。浜田省吾の仕上げが控えてる。 そして明後日からはスピッツ夏イベントのスタートである。待ちに待ったスピッツワールドである。 絶妙に重なるように長渕剛の撮影も控えている。7月はもう休みなしである。 7月26日スピッツ大阪802の後は、最終便に飛び乗って7月27日長渕鹿児島もある、そしてまた翌日には東京で撮影。 その前も、あいだも、後も・・・撮影が入っている。 寝て体調を整えて浜田省吾仕上げに取りかからなければであるが、朝までゴルフを見てしまい思わず日記まで記してしまっている。もうすぐ寝る。あっースーダン報告もしなければが、どんどん違う方向の日記ばなり。 そして、1日半前に初めて長渕剛報告をしたのだが、BBSへの書き込みではなく「Contact」から直接メールが数通連続して届いた。 本当に皆さん、ありがとう。でもなぜか? BBSではなく直接にメール?が重なった。 「Contact」からの直接メールなので、その内容については触れられないけれど、すごく嬉しいメールだった。 長渕剛のファンの方からのメールもあった。その方が、またカメラマン・大川奘一郎さんと僕との逸話を教えてくれた。 すごく励まされるメールだった。なんだか・・・遼くんで泣けてきた涙とは違うけど、妙に泣けてきてしまった。 本当にありがとう。お礼と言っては何だけど・・・一昨日に引き続き8月12日発売の長渕剛アルバム「FRIENDS」のジャケットも公開したいと思う。 |
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2009年8月12日発売 長渕剛 「FRIENDS」アルバムジャケット | |||||||||||||||||||||||||||||
ぜひ、シングルもアルバムも手に入れて躍動する写真を見ていただいて、鮮烈で繊細な長渕ワールドの魂に触れていただきたいと思います。 詳細は長渕剛オフィシャルサイトへ >>> http://www.nagabuchi.or.jp/index2.html P.S スーダン報告も必ず掲載していきますから、ひとつよろしくです。 あと長渕剛アリーナツアー真っ最中の9月も、東京での写真展が決定しました。10月も小倉で大きく写真展示をします。 詳細が決まり次第、お知らせしていきますので見放さないでよろしくね。・・・まだまだ止まらない、終わらない。 ・・・それでは、これから爆睡して浜田省吾仕上げに取りかかります。 遠くイギリスでプレーしている石川遼くんからもパワーをもらっていると感じる。 なぜか?・・・朝方なのでした。 あぁー・・・沖縄の日々は、夜10時に寝て朝5時に起きて、ジョギングシューズを履いて海辺を走り、海でプカプカ、 おいしい料理においしい泡波の毎日だったのに・・・あっという間に逆転の日々。とほほっ・・・文明はイカンっね。 |
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07月20日 (月)・・・Am04:30サイトアップ
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先程Am3:35に4日間に渡る死闘が終わった。 T・ワトソンの快挙と書きたがったが、プレーオフに入ってガタガタに・・・ でも本ちゃんの72ホールは見事だった。石川遼くんとT・ウッズの予選ラウンドがきっかけで見始めたけれど、予選2日目や決勝1日目のT・ワトソンの姿は素晴らしかった。慈しむ眼差し、歩く姿勢、チャーミングな口元・・・そしてプレー。 なにもかもが素晴らしかった。 優勝したのは、S・シンクだったけれど、今回の全英オープンの主役はトム・ワトソンだった。 涙が浮かんできてしかたなかった。 こうしてゴルフからも文学からも映画からもパワーを日々もらっている。 ・・・なんだか、すがすがしい素晴らしいゴルフだった。 その間に浜田省吾最終仕上げは無事終了。そして明けて今日からは久々のスピッツ再開。 心躍る夏がやってきた。またパワーを身体中に染み渡らせたいと思う。 |
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写真は、またまた最南端・波照間の海・・・
夜明け前、早朝5時に起きてジョギングシューズを履いて海辺を走る、誰もいない浜辺にひとり・・・ この海と空と太陽からパワーをたくさんもらう・・・美しい。 |
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