[ 2009年 05月 ]

05月07日 (木) ・・・徹夜明け早朝6:40 サイトアップ   

逗子の充実した写真展も終わり、そのまま撮影と仕上げの毎日を送っていた。

逗子では初めての教会ということであったが、多くの方に観ていただき多くの感想もいただけた。
本当に地道に少しずつである・・・よりリアルに感じていけていることを感じた。

会場では写真展に合わせてスーダンロシナンテスへの募金活動もしていただいたが、前回の湘南での写真展同様に沢山の方が募金してくださった。この場をお借りしてお礼を言いたい。
「ほんとうに、ありがとうごいました」

逗子での募金は、ロシナンテスさんの方にお渡ししました。
また6月には、4度目となるスーダンに渡航いたします。
現地で確実に皆さんからの支援金が役に立っていることをお伝えしていく為にも渡航して新しい写真を撮影していきます。
今回は、ロシナンテスが取り組んできた女子学校の開設と村での水の補修事業完成の様子を主に撮ります。
もちろん医療の様子や村人たちも沢山撮ってきたいと思っています。

連休中は、武道館でのスピッツのライブとファンクラブツアーの浜田省吾の撮影をしていた。

やはり僕にとって両輪である彼らの音楽は、言うまでもなく素晴らしい。
心の隅々まで身体の隅々まで彼らの音楽が染み付いていることがよくわかる。

新しく踏み込んだスーダンやカンボジアなどの写真活動と、これまでずっと続けてきた音楽写真活動。
これまた・・・写真活動の上での大切な両輪。

それぞれの充実を、より一層と思った休みなしの充実ゴールデンウィークだった。

それにしてもGW中の1000円道路狂想曲は、笑っちゃいけないかもしれないけれど笑った。
類を見ない大渋滞・・・例年の僕も、人と同じ道を通るのが嫌だし混むのもバカバカしいのでGWは、まったく動かない。
今年はもっと動かないという感じ。1000円のエサに踊らされてたまるかという感じ。
これも各高速道路会社はまったく値下げしているわけではなく、埋蔵金の税金が使われているだけだもんな。
・・・ということは、回り回って結局、この付けは国民が負担していくことになる。
渋滞情報を見て、自分たちの首を絞めている様子と重なって気持ちが重たくなった。もっと利口な皆が本当に幸せになる政策を取ってもらいたいな。考えてもらいたいな。


・・・ということでGWの始まる前に、
僕はタイに行った。

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菩提樹の木の根に取り込まれた仏像  タイ アユタヤ ワット・マハータート寺院跡 2009年4月撮影


なんだか祈りを感じたくなって、タイに渡った。
手を合わせたかったわけではない。拝みたかったわけでもない。

ただ静かに祈りの場に身を置いてみたかった。
小乗仏教が伝わる東南アジア地方・・・町の何処でも村でも日々の暮らしの中に祈る姿がある。
なぜ・・・あんなに深々と祈れるのか? 今の僕にはわからない。
だけど・・・ただ祈りの空気がある場所に身を置いてみたかった。

毎日毎日、沢山の寺院をひたすら巡った。
タイの首都・バンコクから北へ約80km、アユタヤの寺院を巡る。
アユタヤ王朝時代(1350年ー1767年)に築かれたワット・マハータート寺院跡で
菩提樹の木の根に取り込まれた仏像と出会う。
1767年、ビルマ(ミャンマー)軍によってアユタヤは陥落した。アユタヤ王朝の建物は徹底的に破壊された。
頭のない胴体だけの仏像が並ぶ。
その当時に木の横に放っておかれたのだろう仏像の頭が、200年の歳月を経て木の根に取りこまれた。
深々と感じる・・・受け入れること、すべてを受け入れていくこと。

タイのアユタヤの史跡群は、ビルマによって破壊されていった。
カンボジアのアンコールワット史跡群は、アユタヤ王朝の侵攻によって破壊された。
アンコールワット史跡群でも無数の頭のない胴体だけの仏像を見た。
歴史は常に侵攻、侵略を繰り返してきた。
強いものが弱いものを征服する。
強い国が弱い国を征服していく。
被害者である反面、同時に加害者の側面も常に持ち合わせる僕たちの人間世界。

それは今の世界でも常に起こっていること・・・そして僕たちの身近な社会生活にも存在している弱肉強食の世界。

その全ての行ないを見続けてきたであろう木の根に取り込まれた仏像。
争いも破壊も果てしない祈りの数々も・・・じっと静かに見続けてきたのであろう。
木の根に取り込まれたことでさえ受け入れて。

この仏像にも、アンコールワット遺跡群で出会ったタプローム寺院で見た寺院を包み込む木の根
・・・取り込み、取り込まれ時が流れていく。

自分の仕業ではなく、人間の仕業ではなく
もっと大きなものに身を委ねる。

祈りの言霊を感じる旅を続ける。

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・・・ということで、今月のTOPの写真もタイで撮ってきた。

この写真とセンター合わせにした文章の一連は、5月9日から始まる鹿児島の写真展でも展示します。
鹿児島の写真展は、これまで行なってきたスーダンの写真展を一回り大きくしてスーダンの写真に加えて、カンボジアや世界や日本で撮影してきた様々な写真を少しずつ展示していこうとする新たな試みなのです。
たぶん写真展示規模も、これまでで最も展示数の多い100点近くになりそうです。

どうぞ・・・みなさん会場に足を運んでみてくださいね。僕は明日8日に展示準備の為に鹿児島に入ります。
そしてオープニングの9日は夕方の5時くらいまでは会場にいますので、見かけたら気軽にお声をおかけください。
その後は、空港に向かいまた次の仕事の撮影の為に移動します。

・・・で、今回タイに行ったのは「祈り」のほかに、単純に南の強い太陽に当たりたかった。

ということと・・・なんとなく隣りのミャンマーが気になっていて、探りにいったという感じ。
目当ては付いたので、今後交渉や段取りがうまくいけば、ミャンマーにも行くことになりそうです。

ミャンマーと言えば、2007年秋にフォトグラファーの長井健司さんが亡くなられた国。
僕は、ちょうどスーダンで撮影していて皆さんにも心配していただきました。
長井さんと直接お会いしたことはなかったけれど、案外と長井さんと近いところにいたんだよね・・・実は僕の20代前半からの友人が長井さんの事務所の社長さんだった。縁というのは不思議なものだよね。

まぁ、そんな国でもあるミャンマーなんだけど視野に入った感じ。
スーダン、カンボジアに続くミャンマー・・・世界の激戦区といった感じたけれど、これからも暖かく見守ってくださいね。

やはり・・・祈りの深い言霊を感じる旅を続けていくという感じ。

あとロシナンテスのお膝元である北九州で、川原医師の講演会が開かれます。
5月14日 北九州国際会議場 ・・・詳しくはロシナンテスホームページを見てね。
そこでは同時に私の撮影した写真展示もされます。ロシナンテスで展示用に60点近くの写真をすでにお持ちになっているのですが、新たに今回18枚を追加しました。その写真パネルの制作を今朝方まで徹夜で仕上げていました。
今日これから発送します。写真展示数は未定ですが、ぜひ講演会と合わせてご覧いただければと思います。

あと鹿児島でも、写真展の期間の最終日の前日に当たる5月23日に川原医師の講演会が開催されます。
詳細は、こちらから >>> 川原尚行医師講演会 in 鹿児島

いろいろ盛りだくさんですが、どれも・・・ひとつよろしくっ!!

05月10日 (日) ・・・早朝6:00 サイトアップ   

昨日9日から鹿児島での写真展が始まった。
週末の土曜日ということもあって多くの方が来場してくださった。
なかでも地元の高校の生徒さんが沢山来てくれたことは嬉しかった。1枚1枚の写真を真剣に受け止めてくれたようで、先生ともお話しすることができ、僕が目指している次の時代を担う若い世代に見てもらうこと・・・そして感じてもらうことが実際に感じることができた。
前日の設営時にも地元の医大生や主婦連合のにこやかな面々が自分のことのように手伝ってくれた。
期間中も交代で会場運営に携わってくれるとのこと・・・本当にありがたいかぎり。

こうして写真を撮り、その写真で新しい出会いがあり交流が生まれ、自分が生きている世界だけでは日頃出会わなかったであろう人たちとの交流が生まれていることにも喜びを感じる。
皆さんが本当に一生懸命に世界で起きていることや川原医師や森本喜久男さんや赤尾看護士を通して生きていくことのヒントを感じてくれていること・・・そして何より若い医学生や高校生の姿は本当に美しく、僕も一緒に考えたり教えられたりしながら、僕からも少しずつ伝えていけていることをありがたいことだと思う。

まだまだ書きたいことも沢山あるのだが、僕は昨日の最終便に乗って、次なる撮影地へ向かった。
そして今は10日の朝6時・・・これから撮影地を決めていくためのロケハンに出かける。
僕は気持ちを切り替えて、また今日から一生懸命生きる。

僕は写真を飾り付けた段階で、写真展そのものは今回主催していただいた「未来の君たちへ見せたい写真の会」のスタッフの皆さんのものだと思っている。彼らが伝えたい想いを自由に表現していただきたいと思う。
僕はありがたいことに、そのお手伝いをさせていただいたということ・・・僕は常に写真を撮影する現場に立つ。
そして伝えていただける沢山の方達の力をお借りして、写真達が育っていく。
本当にありがたいことだと感謝している。

どうぞ鹿児島近隣の方や遠方からでも尋ねていただきたいと思います。
・・・ちなみに展示枚数は全90点、説明文章を加えると約100点の規模になりました。

取り急ぎのご報告まで。慌ててロケ先から書いているので、なんだか文章がおかしい感じなのだが、お許しくださいまし。

それでは撮影のためのロケハンに行ってきまーす。

05月19日 (火) ・・・深夜4:00 サイトアップ   

現在、仕上げ作業の連続の毎日。

撮影の連続が続くということは、それと同じ・・・いや、その1.5倍?の仕上げ作業が待っている。
一般の方のほとんどは撮影したままで完成、終わりという感じなんだと思うが・・・僕らプロの場合は撮影は素材集めという感じで、そのなかで空気感のあるもの、勢いのあるもの、何かがあるもの・・・何か感じる写真を選び、そこから昔で言う現像作業、そして引伸し作業で細かいディティールや写真の方向性を出していく。
当然、撮影の時点でも集中していないとなんてこたない写真になってしまう。

なんてこたない写真をいくら仕上げ作業をしても良い写真にはならない。然るにすべてに全力投球なのだが・・・

仕上げ作業って奴は、撮影以上に時間がかかるし体力と精神力が思いきり必要なのだ。そして孤独な作業。

撮影も今月から入って4波くらいで仕上げと思っていたら、突然大津波の撮影が入り・・・先週末まで結局撮影続きだった。そして週末返上で第一波の波の仕上げをし週明け納品・・・そして帰ってきてまた第2波の仕上げ作業中。
まだまだ果てしなく続く。


・・・なので、少し休憩ということでここに来た。
まだまだ鹿児島の写真展の続行中なのだが、僕がお邪魔した5/8と9が遠い昔のように思えてきている。
でもまだまだ今週末までの会期なので、よろしく頼むますっ。

で、今日はまったく関係ないお話しをひとつ・・・僕に直にあった人の中には時々この話題もするのでお聞きになった方もいるかもしれない。ここ2年・・・疑問に思っていたこと。

2007年の9月と2008年の9月にスーダンに行ったが、両年とも見事にラマダン月にハマってしまった。毎年20日くらい前倒しにずれていく。ラマダンとはイスラム世界での断食のこと。太陽が昇っている間はいっさいのものを口にしない。
食べ物はもちろん、水も唾さえ飲み込まない。ラマダンの詳しい内容はそれぞれでまた探求してもらうとして、9月と言えばまだ時折50℃近くにもなる。

現地の人は水を飲まない・・・と、いうことは日本で言われる熱中症(日射病)はどうなるの? 予防策として水の補給をまず一番に言われ続けてきた僕の価値が崩れ去っていく。
ぼくも村に入って、たった2日間は完全なラマダンをした。夕日が落ちて最初に口にする水分は今までに感じたことのない感覚で身体中に染み渡った。経験したことは価値あるものだった。

しかし日本で言う熱中症対策としての水分補給の謎は深まるばかり・・・。
しかし、2,3日前何となくテレビを見ていて僕のなかで解決した。
要するに日本人とアフリカ人とは汗をかく量が違うそうな。そのテレビは夏に行なわれるマラソンに対しての日本人の有利さを語っていた。

確かに現地で黒人の人たちは、ほとんど汗をかかないのだ。だから水分を体内に蓄えている。
だけど僕たち日本人は汗ダラダラ・・・しかしラマダン2日目には確かに汗の量が少なくなってきていた。
そしてたまらず水を一度飲み始めると決壊したように汗がでて喉が乾き、水なしでいられなくなる。

まぁ・・・要するに、その土地の気候や風土にあった身体があるということ。
同じように考えもあるということ・・・自分たちが住んでる場所だけの価値観ではいけないということ。
地球には、沢山の環境下で沢山の考え方が出来ている・・・多種多様を認められるような世界を認知していくことだよな。
とラマダン体験不思議を通して思ったのでした。

・・・わかったかな? このダラダラ文章?

05月20日 (水) ・・・早朝6:00 サイトアップ   

今日も朝まで仕上げ作業。

今、第2波と弟3波を同時進行中・・・プリンター3台もフル稼働。

眠い・・・とにかく眠い。

だけれど頑張れプリンターとDVD-R焼き込み装置。

あと・・・たぶん1時間くらいでメドが立つ。  と思う。

それからまた曝睡・・・そして、また仕上げ作業。

撮影の時は、被写体とのコミニュケーションやロケ地の空気感や夜の飲みで楽しいのだけれど・・・

仕上げは孤独・・・深々と仕上げていく。
引き続きの作業も
唯一の楽しみは目処がついたところでの一杯・・・ビールの時もあるし焼酎の時もあるし、ウィスキーの時もある。

しかし朝方からの酒呑み・・・人間が破綻していく。しかし・・・この一杯は辞められない。

頭の中には、なーんもない朝方の時間。なーんの意味のない日記が続いていく。

・・・そんな時は、かわゆいグランを思い出そっ。
ちょうど1年前の2008年5月にカンボジアで出会ったカワユイ女の子グランちゃん。
あれから1年・・・彼女はどう成長したのだろう。会いに行きたい。
野山を駆け回る少女、手にしているのは野山で手に入れた彼女のおやつ。
僕は、お金で買えるおいしいおやつより、よっぽど豊かな感覚を味わった。
彼女の家族も森本さんが運営する「伝統の森」の職に就くまでは安定した生活が出来なかった。
こんな瞳の幸せがいつまでも続くように・・・願うばかり。
だから果てしなく伝えていきたいと思う。
年内中にはカンボジアを再び訪ねたい。
ちなみに、この写真は現在開催中の鹿児島での写真展でも展示中。
ぜひグランの澄んだ瞳に触れてほしい。

05月21日 (水) ・・・深夜4:00 サイトアップ   

今日は、少し早い。

引き続きの作業もやっと落ち着いてきた。
まだ残っているのもあるけれど、まだ少し〆切りまで時間がある。

仕上げてきた残3波を明日から納品していく。

で、昨日たまたま・・・グランにたどり着いてしまったのだが、思い出したのである。

昨年5月にカンボジアで書いた日記・・・やはりグランを紹介して、「機会があれば姉のアンも紹介します」

思い出したのである・・・。
この少女がアンである。モデルのように可愛いアンである。
こいつも結構ヤンチャである。本当にみんな美しい瞳をしている。
思わず胸がキュンとなる瞳・・・なんだか日本ではなかなか見れない瞳なのである。
アホなケバケバしい化粧でごまかしている女性とは全然チガウ。
真っすぐで純な瞳に惹き付けられてしまうのである。
話しが美少女物語のようになっているような気がするけれど・・・違う。
ぜひ2008年5月の旅風日記を振り返ってほしい・・・彼女らが生活をしている「伝統の森」の志しを・・・。
そこに誇り高き日本人が携わっていることを・・・。

早くカンボジアのコーナーを作りたいと思って早1年・・・それまでは日記を追ってほしい。

2008/05/14 旅風日記 >> http://www.junji-naito.com/contents-menu-Daily2008.05.html

05月22日 (水) ・・・深夜4:00 サイトアップ   

今日もひとつ納品を終えた。明日もひとつ納品をする。

そして、今日も仕上げ作業中。昨日よりも早く終わりそうだ。
仕上げ作業をしながら深々と感じながら、心の奥底の考えに更けることもある。

昨日までフニャフニャの可愛い日記だったので今日はちとっ・・・深めに。

書こうか、書くまいが迷ったが・・・書けないことも日頃は沢山あるけれど、日記なので、ここは書き記しておこうと思う。
もうすぐ50歳・・・40代最後の決意。

オファーを受けたのは今年の1月。そして先週の鹿児島、引き続きの地方ロケから帰ってきて急に撮影が入った。
1月にオファーを受けていたアーティストの撮影。
このオファーには正直・・・迷っていた。ゆっくり考えじっくり確実に行動する。
迷っていた理由のひとつは、今ある音楽写真活動と新しく踏み入れた川原医師を始めとするヒューマンドキュメンタリーの仕事。ここ数年は休むこともなくひたすらに両輪を撮影してきた。
中途半端に受け入れると、すべてが中途半端になることにもなる。それはすべての被写体に失礼なことになる。

それに加えての新しいアーティスト・・・誰もが知っているアーティスト。存在感のあるアーティスト。
やり始めると中途半端では終われないアーティスト。規模の大きなアーティスト。
スケジュール調整が難しい綱渡り的なスケジュールになることも予想される。

・・・だけど、先週踏みだした。
僕は彼を80年代前半に撮影していた。そして25年ぶりの再会。お互い20代だった我々は共に50歳代。
しかし、まだまだ力も充分、まだまだこれから真の役割を果たしていくアーティストの一人に間違いはない。
本格的なセッションが始まるのは、たぶん8月から、そして9月には全国のアリーナツアーを徹底的に撮影していくことになる。

アーティストや被写体を撮影していく時には、いろいろな条件が重なっていく。

ただただ好きだけでは長くは勤まらないし撮影していけない。
僕にとっては好きなことは絶対条件なんだけど、いくら好きでも写真的相性がある。
いくら好きでも、良い写真が撮れないことがある。
音楽が大好きでも写真はあくまで音楽そのものではなく、被写体の空気感やルックスの相性が非常に大切になる。
今までの長い写真活動生活では、好きで好きでたまらないのに、どうしても写真を撮れない人もいた。

その時には潔く、諦める。ただただリスナーの一人として留まることにしている。

そして写真が撮れても、次に来るのは人としての相性。同じ時間、空間にいることの多いカメラマンと被写体。
やはり人間としての相性が絶対的な条件となる。・・・これまた音楽も好き、写真も撮れた、しかし人間的な相性で仕事が続かなかった被写体もいる。

そのふたつをクリアーしても、次に来るのはマネージメントとの相性。本人とは良くても事務所やレコード会社の担当者との相性も必要。

そして生きてきた時代性も共通性も非常に大切な要素である。憧れている時代を仕事にすると案外と仕事にはならない。
自分たちの共通性の時代感覚で、自らが時代を感じ挑んで築いていくことが必要なのである。
その直線上にアーティストだったり被写体が存在する。そして絶対に被写体に対して偏見で見ないこと。
必ず自分の目で、心で、身体で感じて自分が判断していくこと。そしてとことん愛していくこと、愛を育てあっていくこと。

しかし、長く続けている間では自然とお互いの目標や感性が変わっていくこともある。

それら全部のハードルを乗り越えて初めて長くそして親密に、そして冷静に捉えていく関係が生まれていく、育てられていく。

だから27年撮り続けている浜田省吾や小山卓治、18年間撮り続けているスビッツとの関係は、やはり奇跡なのである。

ただの友達なら続くであろうが、常に写真がある。常に競争原理が働く世界の中では奇跡だと感じているわけである。

そして新たな素晴らしいビックアーティスト。
ここには、相当な経験もいる。
今や自分は全国のホールやアリーナはすべて知り尽くしている。
何処のホールで何処のアリーナで、どう撮れば良いか・・・30年間の経験が知っている。
そして全国各地のロケーションも四季折々知っている。
世界に出かけるのも苦ではない。全世界とは言えないが、世界でもいろいろなロケーションや空気を知っている。
それらすべての経験や知恵を活かしていかないと撮り続けていくことの出来ないアーティスト。

ビックアーティストだからこそ悩んだ。しかしテープは切られたような気がする。
これから誠心誠意にニュートラルな気持ちで、しかし気持ちを据えて全力で取り組む。

まだ誰かは明かさない。

昨日に続いて日記振り返りコーナー
      >>2008.1.24の日記を見てほしい。http://www.junji-naito.com/contents-menu-Daily2008.01.html

そこで綴った尊敬するフォトグラファー・・・彼のとことん真っすぐで芯の通った生き方と写真。
その心と精神を受け継いでいく決意をしたけれど、彼が撮影してきたアーティストの撮影を引き受けた、そして始めた。
日記を書いた時には予想もしていなかったこと・・・今年の1月、彼の命日に今回の出会いのセッティングをしてくれたアートディレクターから連絡をいただいた。
当初は断るつもりだった。彼の意志と精神は死ぬまで引き継ぐけれど・・・だったのよね。

彼が30年間撮影し続けてきたアーティストを撮影する。
彼の写真の足下にも及ばないかもしれないけれど、引き継ぐ。
彼の誇りを傷つけないように引き継ぐ。
そこには僕たちが信じてきた音楽の力と誇りが確かにある。
俺たちが求め続けてきた未来(あした)がある・・・だからこそ引き継ぐ。
彼の一周忌の日に電話がかかってきた・・・ある意味、彼からの命令にも感じている。


なんとなく撮影していくアーティストがわかっちゃった感じたげれど、この大切な意志も全力で取り組む。

そしてスーダンもカンボジアも、浜田省吾もスピッツも書ききれないアーティストたちとも、共に全力で取り組んでいく。
自分のことは放っておいてでも全力で取り組む。

50歳を目前にしての決意。ミャンマーにも行く。新しいアーティストを心して取り組む。
今日は彼の音楽を聴き続けている・・・もう10時間を超えた。深々と彼の音楽と祈りと決意と日常を聴く。
それが、俺の礼儀。俺のやり方。被写体になる音楽は徹底的に聴く、身体の奥底に入れていく。魂にも触れる。

3年前に被写体になった川原医師も徹底的に勉強した・・・彼のこと、医学のこと、スーダンという国のこと、宗教のこと。
そして実際に撮影して、また勉強を重ねていく。そして更に深くなっていく。
勉強と体験、そしてまた勉強と体験・・・それが真の知恵となっていく。生きていく確かな知恵となっていく。

通常レギュラーの仕事をしながらも同時に常に挑んでいく。そして深く深く考える。祈りは続いていく。決意は続いていく。

まだまだ旅は続く・・・僕たち大人が、誇りと思えていく瞬間を求め続けて。


決してあきらめない・・・。

05月24日 (水) ・・・徹夜明け、呑んだくれている朝9:00 サイトアップ   

「ぼくは、この自分の生命が・・・自分だけのためにあると思っていない。」

2005年7月14日の日記に記した言葉・・・最近、以前の書いてきた日記を読み返すことが度々ある。
その時その時に感じていたことが、よくわかる。そして今を生きる指針ともなる。ブレてもいないと確認する。
興味ないかもしれないが、時間がある方は2004年からの日記もぜひ見ていただきたいと思う。

・・・そして、今の自分がいる。目の前の仕事をどう捉え、挑んで判断していくか。

僕は、まだまだ、決してあきらめない・・・。僕たち大人が、だらしない大人が、どう考え一生懸命に挑んでいるか。

その姿を赤裸裸に紡いでいく。あきらめない。矛盾に対しての社会に諦めない。

それを子どもたちに伝えていく・・・そして僕たち大人たちに対しても問いかけていく。

今日は、このあと・・・2時間寝て、3連ちゃんの仕事に出かける。すべては常に動いている。