[ 2008年 09月 ]

09月016日 (火) ・・・明けて17日深夜12:30 サイトアップ 

ただいまです・・・16日の夜11時に無事帰ってきました。
3度目となるスーダンでの毎日は充実し、ほんとうに写真屋冥利に尽きる日々を過ごして参りました。

今月のTOP写真は、ずばりスーダンのダルフールでの写真の1枚です。
渡航前には、ご心配をかけるので敢えてお伝えしませんでしたが、ダルフールに入ってきました。
無事帰国できて嬉しく思います。

以前から、この日記でも触れているとおり僕は戦地報道も紛争の中に飛び込むこともしません。
そこは戦争カメラマンにお任せいたします。やはり撮影の為の独自のルートがありますし・・・。
しかし紛争地帯のすぐ隣りで犠牲になっている人たちがいることは確かです。
そこで真っ先に犠牲になるのは子どもたちや女性です。
今回の渡航寸前に川原医師からメールで「ダルフールに行きましょう」という誘いを受けました。
川原医師が医師としてダルフールに入るなら喜んでお供しますというのが経過。

スーダンに入って、まずは診療所がある東スーダンのガダーレフ州のハサバッラ村へ・・・1年ぶりに訪れた村は、スーダン人スタッフの動きが違った。薬の管理も見違えるほど整然と整理されている。母子保健も始まった。水質改善の取り組みも徹底的な調査をした上で本格的に動き出すところだった。ほんとうにふるさとに帰ってきたような暖かい気持ちで1週間過ごした。
1年前に会った村人達が笑顔で迎えてくれた。診療所の待合室には1年前に撮影した写真が飾られている。
それを見て楽しそうに村人達が談笑している・・・うれしい限りだ。
今回も新たにプリントした写真をおみやげ代わりに持っていった・・・村人達が本当に喜んでくれる。写真屋としての原点を感じる。昨年は恥ずかしくて隠れてしまった女の子も僕を覚えてくれてたみたいで遠くから手を振り声をかけてくれる。
そして「写真を撮って・・」とニコリ。僕の風貌もだいぶ浸透しているみたいで撮りやすい環境になった。

2月に不慮の交通事故で亡くなったムスタファ(ロシナンテス診療所スタッフ)の故郷にも、昨年僕が撮影した彼が患者を診察している写真を持って訪ねた。村に入りおじいちゃんに道を尋ねたところ、その人が車に乗り込み案内してくれる。
ムスタファの実家に着き、お母さんに早速写真を渡す・・・写真を見て思わず深々と泣き出すお母さん。さっきの案内してくれたおじいちゃんも号泣。そして家の中にいたお姉さんにも写真を見せる・・・彼女も涙が止まらない。
なにか・・・悲しい思いを思い出させたみたいで申し訳なく思ってしまう。彼らはムスタファが亡くなって2ヶ月、3ヶ月・・・食事もできないくらい悲しみに暮れてたそうだ・・・ぼくも美しい家族の絆や愛情に心の中で泣き手を合わせた。
彼の故郷の写真は、来年のロシナンテスカレンダー2009に使いたいと思っていますので楽しみにしていてください。
でも僕たち日本人が彼のことを思って来てくれることに本当に感謝され、これも絆になっていくんだなぁと丘に登り、美しい美しい村を眺めた。
まだまだこれらの小さな村を撮りにいきたいと思う。そしてスーダン人と日本人が共に歩み、ひとつずつ少しずつ築き上げていく姿を写真に記録していきたい。

戦争や紛争で破壊していく姿は、僕の中ではもう相手にしたくない。ただ事実を知る大切な報道だと思うけれど、やはりそこはそれに向かえる価値観がある人が行なえばいい。僕も心の底では彼らのことを応援したい。
しかし僕はやはり・・・それらによって犠牲となっている弱者と共に「ひとつずつ大切な芽を育てたい、日本人の僕たちがどのようにして友情を築き、共に歩んでいくことを写真に記録していきたい、そしてその物語を伝えたい」
ネガティブな事実だけではなく、少しでものポジティブな芽を出す作業。
それが僕の真ん中にある心・・・軟弱な写真と呼ばれてもいい。僕は友情と愛情と美しい心を追求していきたい。
子どもらに醜い世界ではなく醜い大人ではなく、うつくしい心や友情やうつくしい人を伝えたい。
誇りある大人の姿をひたすら伝え続けていきたい。


そして、その間もダルフール入りの折衝と交渉が断続的に行なわれる。
一時行ける可能性が「2%だねっ」というところまで下がった。1日1日上がったりまた下がったり・・・インシャーラ(神のおぼし召すままに・・)の気分。二人とも無理に行こうとは思わない。しかし最大限の努力は最後まで続ける。
スーダン政府や関係者は、最初からネガティブ報道する西側の人間を入れたくないのだ。
このあたりは詳細に後日また書き記すことにしますね。非常にセンシティブで考えさせられる問題であるからに・・・。
そして・・ダルフールまでのAIRチケットが手元に届いたのは出発の6時間前・・・深夜11:30分。
そして早朝5:30には空港にいた。いくつもの障壁を乗り越えての奇跡的に実現したダルフールミステリーツアーの始まりとなった。

と、ということで・・・いくら書いてもきりがないので、今日は帰国報告まで

またまた日本での僕の大切な基盤である音楽仕事の連続が始まる。またまた美しいアーティストたちを撮る日々が始まる。
帰ってきたばかりだが、明けて今日は早速・・・朝から浜田さん(浜田省吾)の撮影に出発します。
5月のカンボジア帰国後と同じく、すぐにの撮影・・・本当にありがたいことです。感謝感謝。


ご心配かけましたが元気一杯で帰ってきました。日本での連続の仕事頑張ります。
あと掲載も写真展も決まりつつあるので追ってお知らせします。秋の陣の始まりです。

では、では・・・書き込みどんどんしてくださいね。
・・・まだまだ終わらない
疲れた目 擦った先に 探し求めてた 灯りを見た
ルキンフォー どこまでも デコボコの道を歩いていこう
初めてだらけの時から時へと くぐり抜けた心 君に継げたい
・・・届きそうな気がしてる

(スピッツ ルキンフォーより)


いつの日か
 この世のすべてが 等しく平和であるように
 地平に揺れる陽炎 あなたの無事を祈ってる」

(浜田省吾 砂の祈り より)

旅の途中でも常に励ましてくれている音楽・・・マサムネの声、テツヤの愛あるギター、ダイナミックなうねりを与えてくれる田村くんのベース音、シャープでドライブ感のある年下だけれど兄貴分的存在の崎ちゃんのドラム。
浜田さんの誇りあるサウンドと大人としての責任感に満ちあふれた詩・・・そして30年間聞き続けたボーカルの独特の色気。

まだまだたくさんの音楽に常に支えられながら異国の地でも撮影してこれた。ディラン、ビートルズ、レノン、ジャクソン・ブラウン、ブルース・スプリングスティーン、ロイ・オービソン、バン・モリソン、イーグルスにカーラ・ボノフ。
そして小山卓治、佐野元春、あんべ光俊にヒートウェーブ山口くん、夏川りみ、斉藤哲夫に友部正人に吉田拓郎、徳永英明にモンパチにケツメイシにSMAPにまで・・・まだまだ沢山の音楽に支えられながら今日まで生きてきて、そして明日からも生きていく。