[ 2008年 05月 ]

05月04日 (土)   

さぁ、いよいよカンボジアへの出発が近づいてきた。

と、言う前に今月は、10日発売の中央公論掲載と20日発売の「デジタルカメラマガジン」掲載。
そしてJPS展が24日から始まる。そして6月24日からは、ナガサキピースミュージアムにて写真展。
その直前6月20日には、スーダン掲載に関してでは初の表紙と特集10ページを組んでいただいた「デジタルフォト」も
発売される。そして7月1日からは「ギャラリーウォーク」で写真展へと続いていく。
今月のTOP写真は、写真展用のDM。トップからもポップアップでご覧いただけるが、上の写真部分をクリックして大きな画面で確認してほしい。その他掲載関係に関してもTOPのNEWSからご覧いただけるので、ぜひ掲載誌も写真展もご覧いただければと思う。

その間も、もちろん音楽関係の写真も目一杯撮り続けています。
先日1日も、SPITZ関係に浜田省吾関係の写真を納品した。
そしてスーダンから一時帰国している川原医師と都内で半年ぶりの再会をした。
今年は8月下旬あたりにスーダン渡航の感じになってきた。
これからじっくり練って、これまでにプラスしたより深い写真の撮影を目指して、ここでもまだまだ頑張る。

だから今年のゴールデンウィークは、やはり休みなしでカンボジア出発ぎりぎりまで、いろいろな作業をしてということで日記も手短に・・・。

さてさてカンボジアでの被写体をお伝えしたい。
現地でカンボジア織物を復興させていくことで、内戦で荒れた大地を、そして暮らしを復興させていこうと試みる森本喜久男さんの活動を撮影取材しにいく。
詳しくは撮影後に、このサイトを通じて、そして発表していくことで皆さんにもぜひ知っていてほしいと思っています。

彼の活動のサイトは、 http://iktt.esprit-libre.org/  IKKTクメール伝統織物研究所 森本喜久男

ぜひ彼らのサイトを見ていただき活動の片鱗でも知っていただければと思う。
ここの最大の特徴は、内戦で失われかけた織物の技術をカンボジアの人々と二人三脚で復興し、彼らの生活基盤を作る、そして伝統を継承していくこと。
先進国の論理の上での支援という形も見受けられる今の国際援助のなかで、彼の活動は地元の人々の誇りや技術を育てることによっての復興、じつに彼らカンボジアの人々に寄り添った活動がされている・・・ここは継続的な国際援助・国際貢献の形としてのヒントが沢山あると感じる活動なのである。

そこでどんな活動が? どんな人々の営みが? を写真でやさしく捉えられればと思う。
ここもスーダン同様に、ぼくら日本人が失いつつある、失ってしまった大切なものがあるような気がしています。
それらを実際に自分の身体と心で感じる為に、カンボジアに行ってきます。

帰国は21日なので、それまで更新できないとは思いますが、ぜひ中央公論やデジタルカメラマガジンの記事を見てくださいね。

05月06日 (火) Am03:30更新  

大体・・・旅の準備が終わった。仕事納品も大体終わった。
明けて今日6日ギリギリだけれど5月20日発売の「デジタルカメラマガジン」の校正が残っている。

しかし・・・まだまだ出発前にやっておいた方がよい仕事まではたどり着かず、さっきあきらめた。
その分帰ってきたからタイトになるけれど・・・あきらめた。

で、帰ってきてからもすでに5月一杯は、やることで埋まっている。
だからアキラメタ仕事の段取りを何処に入れ込んでいくか? 悩みながら引きずったままカンボジアである。

あービンボウ暇なし・・・体力が落ちている。今月1日に飲んだお酒で奪われた体力がまだ回復しない。
飲まなきゃいいのに体調悪くても1日の終わりに少し飲んでしまう。だからなかなか身体が完全復活しない。
ゴールデンウィーク何処にも出かけていない・・・込んでる時に出かけたくもないけれど。

そしてさっき、旅に出ることと各紙に掲載・写真展のご案内のメールを関係者に出した。数百の数のメールをBCCで出した。
嬉しいことに何人かからすぐに返事が届く。嬉しい限り・・・カンボジア情報を送ってくれる友人も。

そんなメールのやり取りのなかで考える・・・なぜ? 僕は行くの?

さっきの友人とのやり取り、ぼくが彼に送った一文をここにも記してみる。

「難民とか紛争とかが直接被写体ではなく、その荒廃したところから芽を出す作業をしている日本人をひたすら追い続けていこうと思っている次第です。海外が落ち着いたら国内もどんどん取り組もうと思っています。
あっ・・・すでに30年前から美しい芽を出してきた音楽アーティストたちを撮り続けていますけれど。
あまりにも豊かになりすぎて、生命が希薄な我々日本人に伝えたいことがある・・・子どもたちに伝えたいことがある。・・・といったところです。
なんせ戦争地帯や紛争地帯よりも年間の日本人自殺者毎年3万人には驚愕してしまいます。
気持ちはわかるけれど・・・壊れかけている日本ですから。それでも・・・だからこそ希望の芽を表現したいという感じ。
それが僕ら日本人のヒントにもなるし、国際協力・援助のヒントにもなるという事例を追っかけています。」

といった内容・・・しばらく忘れていたけれど、スーダン行く前にこんな気分を日記に書いたような気がしてるけど
・・・たぶんベースにやはりこの心を据えて撮影していくのだなと思う。

最近は、ガソリン税や高齢者保険や、ましてや年金やまだまだ続いている各偽装や人を意味なく傷付ける事件。
日本は終わりそうだし、やはり政治に期待できないし、しかし政治に右に左に生活がすぐに揺さぶられてしまう。
真っすぐな生き方になってほしい、真っすぐな清らかな日本になってほしい。

世界も日本もますます苦しくなる。化石燃料の枯渇、自然破壊、ごまかしだらけのリサイクル、ごまかしだらけのCO2削減問題・・・利権だけで動いてはいけないと思うものの、利権だらけ。天下りだらけ・・・自分の保身ばかり。
情けなくなってくる・・・自分のように権力も利権も何もない人間が叫んでみたところで、利権を持っている人間は微動出しない。しかし、しかしだよ。見せかけだけの豊かな国の危うい心・・・だからこそ豊かな美しい心を生きている限り描いていきたい、伝えていきたいと思っている。

今、帰国後5月から8月に渡って集中的に撮影していく僕にとって新しいアーティストの音楽をエンドレスで聴きながら書いている。
これも帰国後の心の準備・・・素晴らしい心の持ち主。そしてまだまだ美しい人は沢山いるのだと感じる。それが心の支え。
だから音楽写真活動は辞められない。そしてカンボジアにも美しい人に会いに行く。
時に嘆きたくなるけど・・・あくまであくまで真っすぐに。

人としてバカになることにバンザイっ!!  
そして美しい心に、風景、暮らしを持った沖縄にも今年の夏にも行くのだっ!!
そこで表現したいこと・・・伝えていきたいことがいっぱいっ!! ある。

くじけそうになる心を奮い立たせて、体力復帰できていない身体を奮い立たせて、まずはカンボジアに行ってきます。

P.S  ・・・出発前にやっておいた方がよい仕事とは、写真展の準備です。
2カ所分だから、かなりの写真仕上げと文章・組み立てが必要なわけで、5月はたぶん作業できないから、6月に一気に仕上げるしかない。できるのだろうか?
6月にも通常の音楽写真の仕事に加えて新しいアーティストも2人取りかかることになっている。
あー泣きたくなってくる・・・出発前夜の情けない僕なのでした。

05月14日 (水)   日本帰国後・・・21日 Pm12:00アップ   

カンボジアに入って一週間が経過し、森本喜久男氏の「伝統の森」での撮影が一段落した。
素晴らしい取り組みの素晴らしい環境づくり、笑顔の子どもたち、母と子が働く環境の中に一緒にいる、そして男たちは環境を作る。
そして何より森本氏の織物に対する情熱と確かな目、京都友禅職人からタイやカンボジアでの織物の徹底した調査の25年にも及ぶ経験と深い知恵・・・そしてカンボジア織物の復興のみならず、カンボジアの人たちと溶けあって大いなる自然環境を作っていることに感動をした。
機織りだけでなく原材料となる桑の木の植樹、自然染料の元となる藍畑やあらゆる植物も育てている。ここでは化学染料は使わない。機織り機の重要なポイントとなる竹筬(たけおさ)の竹も植林、学校もある、機織り機や工房、家を造る職人も電気、水道配管の技師もいる。
農業・建築・自然環境づくり・学校、そして織姫たち・・・すべてが誇りある一枚のカンボジア絹絣に向かって力を合わせている。
少しでもずれていくと森本氏の確かな目の判断が入る。

村人が本当に幸せそうな顔をしている。やはりここにも僕たち日本人が忘れかけている、失ってしまいかけている大切な心があった。それらを丁寧に伝えていきたいと改めて強く思う。

まぁ、まだ旅の途中なので詳しい内容までたどり着かないけれど・・・今日からやっとインターネットができる環境となったので、カンボジアから「元気だよ」と、旅風日記の更新をしておこうと思った次第である。

途中報告ということで、写真を数枚ほど載せておきます・・・雰囲気を感じてくださいね。

今日と明日はホテルでゆっくりして気分転換に観光したりもして、撮影した写真の整理や取材内容の整理をしようと思っている。
そして16日からは、川原尚行医師、森本喜久男氏に続いての3人目の被写体になる方を同じカンボジアで撮影する。
まだ名前は明かせないが、許可を得て伝えていきたいと思っています。

カンボジアに入って怒濤の撮影をしてきた・・・朝7時から日暮れまで。夜は夕食をとりながら森本氏といろいろと話す。
夜9時半には電気が切れるので就寝。超健康的な毎日・・・日本では考えられない生活サイクル。うれしいっ。
本当にまじめに仕事している感じ・・・本当に充実の毎日を送ってきた。だから元気です。とても元気です。
・・・しかし新緑5月の日本から、いきなり真夏の湿度も高い36℃の気候には、まいったよ。。。
だけれど、撮影に集中していくことで沢山の写真を撮りほんとうに写真屋冥利に尽きる毎日を送れた。

IKTT(クメール伝統織物研究所)の代表的なカンボジア絹絣。
この複雑な紋様を美しく織れる織姫は数少ない。この伝統が若い世代に継承されていく。
カンボジア種のカイコ繭からは、黄金に輝く見事な生糸が紡ぎだされる。
働く母の横には赤ん坊・・・子どものことを身近に感じ心配することなく仕事をする。
効率が悪いように見えるが、安心して働く母の心が仕事のひとつひとつを丁寧にしていくと森本氏は考える。
伝統の森には現在約180人、35世帯が住んでいる。
土木、木工、電気、水道などのインフラ整備。植林、野菜栽培などの農業グループ。
織り手、染色グループ。
そして私設学校・・・午前中は学校で勉強。
午後からは絵に対する集中力のある子どもたちを集め絵描き教室。毎日毎日絵を描く。小さな時からデッサン力をつけていく。1年2年・・・5年、次第に絵が変化していく。
これも将来の担い手を育てていく一環・・・なんと恵まれた英才教育。
そしてその子どもたちにも、ちゃんと給料を支払っている。プロとして意識を育む為と責任感を養うため。
写真中央左の男性が、森本喜久男氏。伝統の森は現在23ヘクタールの面積。
1996年にIKTT(クメール伝統織物研究所)をシェムリアップ市内で設立。あらゆる原材料からの生産を求めて2003年に「伝統の森再生」に着手。当時はただただ荒れた森。地雷は出てこなかったが、弾薬は出てきた。荒れた森の切り株を人の手でひとつひとつ掘り起こし畑にし桑の木を植える。自分たちが住める家を作る。井戸を掘る。電気はない。
5年経過した森では桑の木が育ち、工房や電気も整備した。近々「伝統の森」でも織物を販売するショップがオープンする。ここでの基本的な運営はショップでの直販の売り上げのみでまかなわれている。
シェムリアップ市内のショップと合わせての売り上げが彼らの活動を支える。
自分たちで織物を生産し、自分たちで販売し自立していく暮らし、そして伝統を継承していく暮らし。
180人の村びとともに国際協力や国際援助を超えた共に歩む森本氏の暮らしは続く。
そして森本氏は語る・・「やっと伝統の森の基礎の形が見えてきました。カンボジア全土に散らばっていた原材料も職人もすべて揃う環境も整った。しかしまだ昔の布の復元には至っていない」
森本喜久男氏の芸術家としての布に対しての愛情と情熱は、これからも続いていく。
村に入って知り合ったグランちゃん。
1日目、2日目・・・しだいに仲良くなっていく。恋をしたっ・・・ガッハッハッ。
別にロリコンではない・・・しかし本当に愛おしいグラン。
まぁ・・・おじいちゃんの気分。村のなか、森のなかを案内してくれた。遊んだりもした。
この写真の奥ゆかしい雰囲気、潤んだ瞳とは裏腹に結構やんちゃないたずら少女である。
グランのほかに姉のアン、親友のチャンの3人と僕で沢山の時間を過ごした。
姉のアンもモデルのようにかわいい。次回機会があれば紹介したいなぁ。
あー村を離れたばかりなのに、もうグランに会いたい。
あー恋をした・・・またすぐ伝統の森を訪れよう。
成長していくグランを見たい、村人を見続けたいと思った。
P.S 旅の途中なので手短にしようと、少しだけ写真を載せようと思ったのだけれど、やはり・・・かなりの量になってしまった。
しかしまだまだ沢山の写真が撮れているので大丈夫。帰国して掲載、発表していくなかで見ていってくださいね。
もちろんこのサイトでも紹介していきますので、よろしくです。

さぁ、16日からは新たな撮影。もうひと頑張りして帰国します。
しかし帰国後翌22日には恥ずかしながらのラジオ出演の為の録音2本?・・・これは長崎ピースミュージアムに向けての地元局の番組。そして翌23日には、久々の浜田省吾撮影と続くので、とほほっでありますが愛すべきアーティスト。嬉しい限りです。

僕の旅もまだまだ続く。

05月21日 (水)   日本帰国後・・・21日 Pm12:00アップ   

無事、さきほど日本に帰ってきました。

やぁー本当に充実の毎日で、生きがいを感じながら・・・あっという間の半月だった。
ほんとうに楽しかったっ!!

後半16日からは、楽しかったとばかり言ってられない母子感染によるHIV患者さんの母と子どもさん、貧富の格差による栄養失調の子どもさんやそれに伴う障害のある子どもさん、劣悪な環境の中で暮らす家族・子ども等々の現実も見て撮影してきたのだけれど、先の5/14付け日記の「伝統の森」がある意味、天国の環境であれば、ふとっ違う角度から見ていくと厳しい現実があることにも気付く。
森本喜久男さんの「伝統の森」の織り手のなかにも、元々はその日の食べ物に困っていた方や孤児もいらっしゃる。
そんな方にチャンスを作っている「伝統の森」はやはり素晴らしいと思う。
森本喜久男さんもカンボジアをずっと見続けてきたひとりとして確信的に行なっていると感じた。
HIV関連や貧困の写真に関しては、とてもデリケートなプライバシーのこともあるので、今回被写体になっていただいた方に確認、了承を得て慎重に皆さんにも届けていきたいと思う。
この方もほんとうに素晴らしい心を持った、そして美しい美しい瞳の日本人女性看護士の方であった。

・・・と、ちとっ固くなったけれど、おみやげ代わりに、3枚の写真を載っけておきます。

この3枚の写真は、アンコール遺跡群の中にあるタプロームという寺院跡。すごい根っこが寺院に絡みついている。
すさまじい生命力・・・なぜか、しみじみと涙が出てくる・・・、そして謙虚な心になれました。

今回、森本さんの撮影でカンボジアを訪れたのだけれど、偶然にシュムリアップに来たわけです。
森本さんも「伝統の森再生計画」を発想してから、カンボジア全土のあちこちを廻り土地を適価で取得する為に奔走したらしいのだが、なぜか? 世界的にも有名なアンコールワット遺跡群の近くでの活動になった。

ぼくは、今回初めてカンボジア訪問だったのだけれど、20代の頃から・・・この絡みつく樹の存在は知っていて、いつかは訪れたいと思っていた。それがこんな形で実現したわけです。

3枚目は、たぶんこのサイト始まって以来の大画面。フルでパソコン画面上で確認できる人は限られると思うけれど、大きく感じてもらいたいと思い、かなり大きく載せてみました。。

とにかく、じーとこの生命力を感じてください。

渡航中・・・ミャンマーの台風被害や中国の大地震もあって、その狭間にあるカンボジアに滞在ということになってしまったのだけれど、天候にも出会いにも恵まれ本当に充実の毎日だった。フォトグラファーとしてのまた新たな確信も得たことも感じた。
ミャンマーや中国の被災者や犠牲者の方に静かに祈りたいと思う。
そして5日前ぐらいだったかな?  ニュースを見ていると、スーダンでは首都・ハルツーム近郊まで反政府勢力の攻撃があったと報じていた。川原さんは大丈夫かな? と心配する。来月には、また日本で再会することになっている。
6月24日には長崎写真展に合わせて、合流することにもなっている。スーダンもまだまだ不安定。ただただ国の平安が早く実現するように願うのみ・・・。

・・・だけどアホな僕は思いっきり元気です。ノーテンキに思いっきり真っ黒になってしまいました。

明日からは初夏前の日本で、恥ずかしながらの真っ黒になったアホヅラをさらしながら、また音楽写真に没頭します。
そしてスーダン写真展の準備にも取りかかります。
そしてカンボジアの写真も仕上げていきたいと思います。休みなしで頑張ります。

では、またね・・・

05月22日 (木)     

昨日、帰ってきてからの帰国報告更新に引き続き、今日は5月10日発売の中央公論6月号と、おととい5月20日発売の「デジタルカメラマガジン」6月号の掲載報告。どちらもまだまだ発売中なので、ぜひご覧下さい。

こうしてひとつひとつが形になっていく、そして少しでも感じてもらえれば嬉しい限り。
「伝えていく」という心をキープして、まだまだこれからカンボジアで撮影してきた写真も伝えていきたいと思います。
もちろんスーダンの写真も引き続き・・・。

昨日から今日にかけて、ここでの帰国報告に引き続き、関係各位の方にメールを一斉送信した。
そして片付け・・・そしてカンボジアで撮ってきた写真を今メインの本体ハードディスクに入れているところ。
なんと今回の撮影で、80GBの容量分の写真を撮ってしまった。現地ではノートパソコンのほかに、3台の外付けハードディスクにバックアップを取っている。
理由はデーター破損のバックアップと、後は盗難や移動中のロストバゲージなどで、せっかく撮影した写真が無くなるのをあらゆる方向から未然に防ぐ為。だからそれぞれのHDは、スーツケースに、手持ちのカメラバックに、あと手持ちのショルダーバックに分けて移動する。そんなことやいろいろフォローアップしているため僕の荷物は総重量がかなりである。今お昼の12時から始めた本体へのデーター移動・・・3時間経過した今も終わらない。まだまだかかりそう。
やはり相当の枚数を撮ったのだなぁと感じた・・・まだ枚数は数えてないのでわからない。

あと今日はラジオ収録の予定だったが、30日に変更になった。
セーフ・・・良かった。まだ頭はカンボジア。しかしラジオ出演ではスーダンの話しをメインにしたい。
だから一週間の猶予をいただいて良かった。

と同時に、明日は浜田省吾さんの撮影。いま準備しているところ。帰ってきてすぐに仕事がある。嬉しい限り。
それも26年撮影し続けている愛すべきアーティスト。感謝、感謝であります。

帰国してすぐなので、皆さんから「ゆっくり休んでくださいね」というような気遣いのメールをたくさん頂いた。

しかし僕は元気です。日本でずっと過ごしているより元気なのです。

現地では毎朝6時くらいは起きて朝食、7時過ぎから11時半まで撮影。シャワーを浴びて昼食。そして午後1時半から夕方5時まで撮影。そしてプール入ってシャワー浴びて、1日の汚れや疲れを洗い流す。そして夕食してビール飲んで読書して原稿書きや勉強して12時くらには寝る。曝睡。

だからとっても元気。日本いる時は、各締め切りや撮影や日常が重なっていき複雑なスケジュールとなっていき、自然と不規則になり、何がなんだかわかんない生活サイクルに自然になってしまう。
だから僕にとっては海外のスーツケース1つのシンプルな生活が気持ちいい。撮影だけの毎日・・・とても気持ちよい。
日本では、なんて多くの必要のない荷物を抱え込んでしまっているのだろうと反省する・・・だけど自然に増えていってしまうのよね。

ということで・・・雑誌掲載のお知らせでした。また複雑な仕事に戻ります。昨日も曝睡して今朝も早起き。仕事がはかどります。このままの調子でいたいんだけどなあ・・・いつ破綻していくか? あーこわい。

今のところ僕はとても元気です。

05月29日 (木)     

今日は、まずロシナンテス・川原尚行医師東京講演会のお知らせ。
意外なのだけど、川原医師の初の東京講演会が、6月7日に催されます。ぜひぜひ本人からの生の声を聞いてください。

講演会の詳細と申し込みは、こちらから   http://www.rocinantes.org/tokyo0806/index.html

まだ若干、席があるようなのでぜひ早めに申し込みよろしくです。
僕も当然、出席します。当日は昨年福岡で展示したロシナンテス活動の写真も展示する予定です。

本当は月末なので、ここで告知してもすぐに月が変わり、6月の日記が控えているので、6月のTOPで紹介しようと思っていたのだが、思わず紹介してしまいました。・・・なので引き続き6月のTOPでも告知しますが、一足先に告知してしまいます。

僕はと言えば・・・23日は予定通り、浜田省吾の撮影をした。そして翌24日には1日半かけて、その仕上げ。
カンボジアに出かけていた関係上・・・本当はもう少し早く撮影だったのだけれど、事務所に配慮していただき、締め切りぎりぎりの撮影となったので、絶対に迷惑をかけたくないので超特急の寝ずの仕上げとなった。
で、またまた翌25日には、前日から始まったJPS2008写真展の東京展に行ってきた。
この日は表彰式とパーティーがあったのだが、寝ずの僕は表彰式はキャンセル。写真展とパーティーだけ参加してきた。
早くも友人から「24日初日に行ってきました。沢山の写真の中でしたが、やはり際立つものがありました」とメールをもらった。
ほんとっ・・・嬉しい限り。サンキューの気持ちで一杯。
・・・ちなみに25日は、思わず明けて深夜2時まで、JPS展に一緒に行った旧友と飲んでしまった。

で、続いて26日は、浜田省吾納品。写真展の準備でいろいろ動き。


27、28日は・・・やはり倒れたというか・・・ひたすら寝た。日本の生活は疲れる。カンボジアの規則正しく健康的な毎日が懐かしい。

そして今日は僕の49回目の誕生日。  ガクゼンとする。すっかりオヤジになってしまったのかもしれないけれど、まだまだフットワーク軽く動き回りたいと思う。死んでいく一瞬前まで、動き続けていく。
健康な毎日だけを思って長生きしても仕方ない。不健康でも倒れても動き続けていく。撮り続けていく。

それでいいのだっ!!  さっきまで22日収録予定だったラジオの構成を考えてて、明日30日が収録になったので、酒を飲みながら音楽聞きまくっていたから、酔っぱらっている49歳の誕生日の朝7時の僕なのでした。今日も朝まで音楽に酒に写真。

ということで・・・今日の日記の趣旨は、川原尚行医師東京講演会6月7日、よろしくっ!! ということでした。

では今月最後の写真1枚をお見せ致します。
カンボジアは美しい・・・の1枚。と思ったけれどカンボジアは美しい2枚の道の写真・・・感じてください。
上の写真は、訪問診療に向かう途中の道・・・ほんとうに美しい道、まるで冬のソナタの一場面のような道。しかし、この美しい道の傍らには、まるで倉庫のような家に暮らす患者さんがいた。カンボジア・シュムリアップ市内より東へ約50Km。
下の写真は、伝統の森入り口の前を通る美しい道。カンボジア・シュムリアップ市内より北へ約30Km。
僕ら日本人にとっては、カンボジアは映画「キリング・フィールド」で描かれた内戦、ポルポト政権下で100万人とも言われるの虐殺。
今も残る地雷の数々・・・といったところだけれど、すごくすごく美しい国であり、やさしい人たちが住む国であった。また早く行きたい。