[ 2007年 10月 ] | |||||||||||||||||||||||||||||||
10月10日 (水) ・・・Am02:00サイトアップ |
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ただいまです。気分は10月9日深夜。 昨日10月8日夜、スーダンロシナンテスの取材を終えに無事に帰国いたしました。 BBSにも書き込みましたが、帰りはタンザニアから移動時間が実に35時間。 時差ぼけを通り過ぎて移動ぼけの極地の状態ですが、元気です。 本当にすばらしい日々を、撮影を過ごすことができました。 不安定なスーダンという国での取材ではありましたが、そんな現状の一片をお伝えできればと思っています。 今年1月に引き続き、おみやげ代わりに写真を数点、皆様にお見せします。 2回の長期取材を終え、満足のいく写真が整いましたので、これからは発表(写真展、写真集、各メディアへの掲載)に向けて全力で取り組みたいと思っています。 もちろん通常の音楽写真に没頭する日々を過ごして参ります。 早速まずはデーターの整理や関係各位への帰国報告メール・・・そしてさっきから荷物を整理し、やっとこのサイトにたどり着きました。これからも徹夜でロシナンテスカレンダー2008用の写真仕上げ作業が続きます。 今回おもに訪れた場所は、スーダン首都ハルツームから東南へ約600km離れたガダーレフ州シェリフ・ハッサバーラという電気も通っていない村です。 ロシナンテスは、ここで今春診療所を開設。 現地スーダンスタッフの養成とともに日夜治療を続けています。この地の病気は、主にマラリアとコレラです。 毎日のようにマラリア患者が診察に来ています・・・ここは患者発生数が多いとのことです。 写真に写されている患者さんすべてがマラリアに感染していました。 ここでのマラリア判定キットは、シンガーソングライター浜田省吾さんが提唱して1999年に設立されたJ's Foundaitionの基金により今春提供していただいたもので、確実に現地に届き使用されていて感無量の気持ちになりました。 そのほか冷却を必要とする検査キットや薬剤を保存する太陽電池を利用した冷蔵保存庫。 そして夜間診療や電子顕微鏡による診断のための電気をまかなう為の発電機・・・ここでは検査キットと同時に電子顕微鏡での確認、両方でより確実な診察を行なっていてスーダン人スタッフも技術を習得しようと一生懸命な働きにも感動しました。・・・これらすべて制約が厳しいスーダン政府のお国柄の難局を乗り越え、ロシナンテスによって確実に患者さんの元に届いたものです。 川原尚行医師の情熱の賜物です。 今回はラマダン月(断食)にあたり、私もラマダンを体験しました。 それら詳しいことは私のホームページにて随時、写真・文章を公開していきますので、ぜひご覧くださいね。 ロシナンテスの詳しい情報は、http://www.rocinantes.org/ J's Foundaitionの詳しい情報は、http://shogo.r-s.co.jp/js.html 簡単ではありますが、まずは帰国報告ということで・・・ |
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写真上左は、今年1月スーダンでの取材中に僕自身が診察してもらったもの・・・一番左Cの赤い筋は検査が正常に働いていることを示す。 少し見えにくいが、2と1がナンバリングされており僕の結果は陰性。 そして写真右の写真は、今回の取材中に村で撮影したもの・・・一番左Cの赤い筋と1のところにやはり赤い筋が現れる、熱帯熱マラリアであることが判断できる。 ちなみに2のところに赤い筋ができると三日熱マラリア。 |
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10月13日 (土) ・・・Am03:00サイトアップ |
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帰国してから日夜作業をしている。まだまだなのだけれど、かなり整理が出来てきた。 もうすぐ浜田省吾ON THE ROADにも合流するので、その時までには1段階目のメドをつけておきたい。 で、ということは・・・またまたこの日記から遠ざかる可能性があるため踏みとどまる策として毎日とは言わないが軽く軽く写真入りで更新することにした。まとまった形で書こうとするとまた力が必要なので軽く毎日を目標に・・・ |
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シェリフ・ハッサバーラ村ロシナンテス診療所の医療スタッフ用のグッディーヤ2棟・・・右が一応男性用、左が女性用。僕も今回右の男性用に寝泊まりした。暑い日は写真の通りベッドを外に出して寝る・・・これが気持ちいい。モスキートネットも効果抜群・・・とても寝心地が良い。 このグッディーヤはこの春に村人総出で作ったもの。ありがたい。 |
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10月14日 (日) ・・・Am03:00サイトアップ |
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今日はグッディーヤの中の様子・・・なんてことはない。 ぼくらのグッディーヤのなかは寝るためだけのベッドと申し訳ないほどの机。 下に置けない荷物のたまり場か・・・少しよけてデスクワーク。 写真は川原医師がインターネットをしている様子・・・ここは電気はないが病院で発電機をまわしている時間に充電しておいて昼間バッテリーが持つ間だけパソコン作業も出来る。実に電波がどうにか届いている地域なのである。当然携帯も使用可能。 おまけに日本のソフトバンク携帯もOK!! しかし通信費がかさばるのでスーダンの携帯を普段は使用する。 |
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10月24日 (水) ・・・Pm11:30サイトアップ |
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昨晩ひょんなことから素晴らしいドキュメンタリーを見た。 不思議な感覚に包まれた・・・身体もジーンとしてくる。 そのDVDのタイトルは「アフリカへの想い」・・・2000年に出てたらしい。 その主人公は、レニ・リーフェンシュタール・・・ドイツの女性写真家である。 ぼくは、1980年代初頭彼女の出版した「ヌバ」という写真集を買った。すごく影響された写真家の一人。 彼女は、ナチの党大会を記録した『意思の勝利』やベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』を撮ったがため、様々な誹謗中傷を受け、事実上映画製作ができず不遇の時代を生きてきた。 しかし僕が影響受けたのは、その中身・・・映像そのもの。 オリンピックの写真も「ヌバ」の写真や映像も、その何とも美しい美感と捉え方に驚嘆した。 僕の写真質感も多大な影響を受けている写真家の一人なのだ。 そこでだよ・・・まぬけな僕は昨日気づいた。 「ヌバ族」ってスーダンの中の民族だったのよ。ガーンである。 川原先生のドキュメントを撮影するためにスーダンに行った。しかしスーダンはあくまで2次的なもので・・・ 川原先生が違う国で活動していたら、当然その国に行ったであろう。 「ヌバ」の写真集は持っていても見ていても、25年以上前のこと・・・アフリカのどこかだろう?としか思っていなかった。 心の片隅にアフリカのどこかにレニ・リーフェンシュタールが撮影した本当に原始的なアフリカがあるのだろうとは思っていたが・・・それがスーダンだったとは。とほほっである。僕の記録力のなさ・・・文字に弱いのよ。写真に関してはその日の質感やら何もかもかなり覚えているんだけれど。 不思議な縁を感じてしまった・・・勝手に。 しかしそのドキュメントを見ているうちにスーダンの南北内戦で、そのヌバ族も巻き込まれ参加し、当時の文化はもう既になくなってしまっていた。 レニ・リーフェンシュタールが訪ねるのも28年ぶり・・・2000年彼女が98歳のとき。本当に元気でチャーミングなおばあちゃん。彼女は晩年モルジィブの海に潜り珊瑚礁を彼女独特の美感のままに撮影した作品も残している。 「ヌバ族」がスーダンの数多い民族のひとつで、スーダン内戦のなかで、村を失ったり文化を失ったり本当に考えさせられるドキュメント作品だった。 僕のサイトの「スーダン」コンテンツの中の002.スーダンという国の中でも触れているように 「 ・・・一つの国で、休みの日も違う。北は金曜日、南は日曜日とまったく二つの国が混在している状態。南スーダンでは、その他土着宗教、民族も多数あり問題をさらに複雑している。」の南スーダンでは土着宗教・民族も多数ありのなかにヌバ族も含まれていた訳だよ・・・ね。 本当に不思議な縁を感じた・・・あのレニ・リーフェンシュタールの「ヌバ」はスーダンにあったのだ。 ぜひ皆さんも見てほしいと思う。できれば写真集を先に見て、この作品なり彼女のプロフィールを知ってもらいたいところだが・・・なぜなら略歴からだけだと彼女の素晴らしさはわからないし、やはり写真や映像作品でまず美を感じてもらいたい。 ぼくがこれまで見たどのオリンピックの中継画像よりも彼女が描いた約70年前の映像は、新しい視点に満ちてしかも圧倒的に美しいから・・・それは「ヌバ」という写真集も然りである。 |
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ヌバ族の村にも、少し違うけれどグッディーヤの三角茅葺きの家々が並ぶ。 非常に近い生活文化圏なのである・・・写真はロシナンテス診療所があるハサバラの村の美しい美しい夕日。 僕の滞在期間中はラマダンだったため、この夕日に包まれながら・・・やっとその日の朝食(イフタール)がはじまる。 そしてまた祈りの時間。ほんとうに聖なる静かな時の流れ・・・なぜか人間としてのこころの落ち着きも感じた。 |
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10月31日 (水) ・・・Am06:00サイトアップ |
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またまた何日かぶり・・・またまた毎日の日記更新目指して軽い写真日記にしようとしたけれど、それも2日で終わり・・・情けないけど仕方ない。 その間のずっと仕事は続いていて、ここまでたどり着かない日々が続くのである。 今、もう朝になるけれどプリント指示してプリントが出来上がるのを1枚1枚待っている。いろいろ書類整理とかやってたけれど待つしかないところまできたので久しぶりにここに来た。 同時に当然音楽流れている・・・当然スピッツニューアルバム「さざなみCD」である。今晩だけでもう7回はエンドレスで流れている。こうやって聞き込むことによってすべての楽曲の音やフレーズや詩や鼓動やを身体に染み込ませていくのである。というか好きでエンドレスで聞いているので自然に染み込んでもっともっと身近になるのであるよね。 10月10日に発売になっていたが帰国後の慌ただしさで、やっと先日に事務所にお伺いし打ち合わせをしてCDを手に入れた。それからずっと聞いてる・・・ぼく、徹底的である。 やはりどの楽曲もすばらしい・・・音もうねりもボーカルも詩も。 今回はアルバムにメンバーPHOTOとしてレコーディング時に撮影した彼らの写真を使っていただいている。 まだ手に入れてない人は、ぜひ買ってその写真も見てちょ・・・そしてスピッツワールドにハマってくださいですよ。 12月にはスピッツの久々のツアーも始まる・・・期待大大大である。 そして浜田省吾ツアーも残るところあと1ヶ月。僕も帰国後に合流した滋賀県のライブで本当に心身感激した、そして感謝もした。僕がこうやって元気に活動できるのはこんな音楽たちのおかげとつくづく思った。 ところで前回のレニ・ヌバ・川原・・・スーダン?の話の関連。 ぼくは過去にもまた同じ経験を持つ・・・今度は1976年頃のこと。 ぼくはボブ・ディランの中で一番好きな時期は「ハリケーン」「ハードレイン」の頃。 独特の音と独特のファッションでダントツに好きなのだ。ディランの評価はその前の年の「偉大なる復活」というザ・バンドとツアーをしたアルバムがすごい評価されてたけれど、僕は断然「ハリケーン」と「ハードレイン」のラインだった。 「ハードレイン」はザ・バンドとのツアーの後に始めたツアーで「ローリングサンダーレビューツアー」と題されていた。 とにかく意味もなく音とルックスにメチャメチャ惹かれていた・・・詩なんて英語だし分けわからんし、だけど確かに惹かれていて今の僕に影響を与えている。 でね・・・たぶん1980年代半ば頃、アメリカを旅して段々と深くなっていってネイティブアメリカンのメディスンマンの存在・本を知る訳よ。 それがずいぶん前の日記になるけれど2006年3月の旅風日記のTOP写真にもある「ローリングサンダー」っ!! 随分この本から、そしてこの人から影響受けた。 そして全部が繋がっていくんだよね・・・ビートジェネレーション、ジャズ、ロック、50年代60年代の数々のキラキラした音楽・文学・映画・写真・芸術文化としてのパワー。 もう、わかっちゃったかもしれないけれど、ハタと気付くわけ・・・一致していくわけ。 あの高校1年のときに聞いた「ローリングサンダーレビューツアー」は、ローリングサンダーを称えるツアーだったんだと。オーマイガァッドだよ。気付いた時の衝撃は今でも忘れない。出会うべきして出会うんだ。 繋がっているんだ・・・何気なく好きで好きで聴いてきた音楽とすべてが繋がっていくんだと感じた1980年代・20才代・・非常に多くのことを学び、勉強し吸収し身につけてきたなぁと思うのでした。 途中で出てきたビートジェネレーションは代表的な人としてアレン・ギンズバーグ・・・この人はディランの詩に多大なる影響を与えたビート詩人。 そしてジャック・ケルアックの代表作は「ON THE ROAD」・・・僕も当然何から何まで持っていて当時のビートポエムのライブの様子を収めた8枚組みの豪華CDセットのレアものまで持っている始末。何ともいい声なんだよね。 このようにして深みにはまり込み始めて40年・・・どんどんますます深みにはまっていって、ちゃんとした規則正しい生活ができない48歳の深まる秋でございました。 プリント作業もそろそろ終わりそうです・・・それではまた。 早朝6時、空も明けてきたのでおやすみなさい。 |
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