[ 2007年 01月 ]

01月01日 (土)   

新年 明けましておめでとうございます。

いよいよ1月9日より今月一杯の予定でスーダンへ撮影に行ってきます。
・・・んなことだから、それまでにいろいろ納品やら打ち合わせやら、当然旅の準備・・・特に小さな備品等に気を使いながら準備、仕上げ、納品、打ち合わせといったお正月気分の全くない1年がスタートしました。
帰国してすぐ2月からは4月まで続くスピッツツアーの始まりであり、そして4月からは浜田省吾ON THE ROAD2007・・・7月後半まで・・・そして夏にはスピッツ夏のイベント。今年もあっという間に月日が流れていく予感です。
当然他のアーティストの予定も入ってきます。新しいことに沢山踏込んでいく1年となりそうです。
スーダンも何回かの渡航となりそうですし、ネパールもカンボジアもアフガニスタンも視野に入っています。

とことん真っすぐに進みたいと思っています。
もちろん合間を縫って、ヨーロッパに息子とも旅をしたいと思っています。サッカーヨーロッパチャンピョンズリーグを
イタリアかスペインかイギリスへ追いかけて行きます。息子にも海外の体験をさせたい。
そしてまたまたもちろん沖縄離島にも今年も行きます。

まだまだ全力ですべてに対して取り組みたいと仕事をしながら元旦に想うのでした。

01月08日 (月)   

・・・と元旦の日に書いた後、はたと気付いた。

「とことん真っすぐに・・・」・・・俺、年男じゃん。亥年じゃん。俺、48歳じゃん。がぁーん。
でもやはり亥年生まれなのだなーと思った。突進あるのみだもんな・・・オレ、いつも。
でも止まって考えてんのよ・・・むやみやたらと突っ込んでるわけじゃないのよ。と自分を慰める。
プラス双子座なもんだから、ぼくの中に常に二つあるんだよね。
超能動的な自分と、貝のようになって考え込み立ち止まり引きこもっちゃう自分と・・・

だから・・・もう旅したくない、出かけたくない・・・家でのんびりしているときが一番いい・・とも思う。

しかしながら、明日9日からスーダンへ出発します。
毎日のように書きたいことはあったのだけれど、慌ただしく今日になってしまいました。
今はスーダンでの撮影のことで頭が一杯一杯、書きたかったことも全部忘れてスーダンに集中したいと思います。
しかし・・・家に居たーいっ。どこにも行きたくなーいと言う自分も居たりして
「何もかも捨て去って写真もぜーんぶ辞めて、貝のように過ごしたーい」と思ったりもする。

しかしいよいよスーダン、みんなもピンと来ないだろうスーダン。
だけどそこに美しい人がいる。ただそれだけで行く。
これまでも日本で音楽をする美しい人たちを撮影してきた。全国を何度も何度も、かれこれ28年巡ってきた。
今回は医療をしている美しい人がスーダンに居る・・・それを撮影しに行くだけのこと・・・何も変わらない。
もうひとりのイノシシぼくが、今度は熱情の心に変わる。
とにかく彼のことを知って1年3ヶ月、試行錯誤と勉強の6ヶ月間・・意を決めてスーダンへメールを送った2006年春。
川原さんと東京で始めて5月に会って、やっとの思いでのスーダン渡航です。精一杯の撮影をしてきたいと思っています。


スーダンからも日記を更新したいと思っていたのですが、向こうのインターネット事情(アナログ回線のみらしい)と慌ただしい毎日で月末まで、たぶん日記の更新はできないと思います。
向こうで出来るだけ写真付きの日記を書きためて月末にドーっと日記更新をするつもりです・・・あくまで、つもり。

それにしても6日放送の「瑠璃の島」は、正直言ってひどかったね。
やはり俳優さんだけでは素晴らしい作品ができないと実感した。撮影も照明も編集もひどかった・・・監督力の差が出たよね。やはり「Dr.コトー」は作品として素晴らしいのがよくわかった。

だけれど実際の鳩間島は、本当に素晴らしいところで神々を感じる神聖なところなんだよね。
お間違いなく・・・だからついつい「瑠璃の島」を見てしまって、鳩間島の風景を堪能してしまうのよね。
しかし番組ラストの言葉で「この島は生きている島・・・だから逃げてきてほしくないし、死ににも来てほしくない・・・」
と言うような言葉があったけれど・・・僕としては何かまた違和感を感じたな。
「どんな人だっていいじゃない・・・悩み抱えて逃げてきたっていいじゃない、その人その人の癒しの場所であっていいじゃない」と思ってしまった。
それがある人にとっては音楽だったり海だったり空だったり、島だったりすればいいんじゃないかと思う。
逃げ道は必要だよと思ってしまった。そんなところも監督力にガックリした・・・
まぁ予想通りだったけれど便乗くんの「瑠璃の島」であった。だからお口直しにまた「Dr.コトー」を朝まで見てしまった。

だけれど「チャングム総集編」はやるし、「ちゅらさん総集編」もやってたし盛りだくさんのお正月番組だったな。
「ちゅらさん5」は、これから放送するみたいなので当然録画予約して帰国してゆっくり見よっと。
また小浜島の風景が見れるね・・・うれしいね。
「ちゅらさん」まで演出・撮影がくだけてくれると、それはそれでまた楽しい。


ところで、今月のTOPの写真は、昨年からの続きのアメリカ・フォーコーナーズのナバホ族の居留地にある聖地の山。
ここにただただ3、4時間居たのかな? 夕方から真っ暗の夜になるまで、たった一人きりで風の音とその場の空気の香りとに包まれながら過ごした。
夜になると本当に真っ暗で普通は異国で恐いはずなのに本当に充実した気持ちにさせてくれた場所。
この時、生まれて始めて遥か地平線から夜がくるのが見えた。数時間にも及ぶドラマ。
この広大な居留地内にはホテルがなくて、居留地のはずれまで車を5時間走らせて深夜2時くらいにホテルを見つけてチェックイン。だけれど充実した心で一杯になった思い出の一枚。

ぼくは予定を立てずに、その日その日を旅することが好きなのです。
スーダンの旅もまったく先の見えない旅・・・どんな充実感と挫折感が待っているのか楽しみです。

それでは、月末あたりにお会いしましょうね。    
行ってきまぁーす。

01月10日 (水)   

やぁー遠かった。飛行機の中でこれを書いています。
昨日9日に羽田を出発・・途中関西空港、ドバイで乗り継いで、やっとあと40分で到着である。
実に30時間ちょっと・・・もう日本時間では夜中の12時を過ぎて11日になろうとする時間であるよ。
まぁ途中ドバイ(UAE)でのトランジット待ち時間が9時間ということもあるのだけれど・・・呑み疲れた。

しかし始まりである。スーダンの旅の始まりである。
さっき初めて見るアフリカの夕日を見ながら、「なぜ? 未知の国・・・スーダンまでやってきたのだろう?」と思った。

やはりストレートに川原尚行という男がいるからに他ならない。
彼の熱情とバックボーンそしてアフリカの地・・・それらを素直に表現できますように。
ちなみにスーダンハルツームは夕方の7時。

01月11日 (木)   

今日は朝からまずレジストレーション(外国人登録証)の取得。(朝9時に出して約束通りの1時に受け取る・・・素晴らしい)
ビザとパスポートがあるのに・・なぜ?と思ってしまうが仕方ない。
続いて撮影許可書(PHOTO PERMIT)の取得に3カ所動き回り、無事取得。写真1枚、ビザとパスポートコピー、撮影許可書のコピー提出。これもまた各州ごとに取得ということだったが、4州まとめてOKだった。
順調・・・すべてロシナンテス霜田さん(事務全般を担当)のおかげ、感謝。
それから新居の方に移動・・・隣にごあいさつ。結局お茶からご飯までごちそうになる。近所付き合いの大切さ。
そのおかげで7時から始まるパーティーに遅れそうになるがギリギリセーフ。就寝は夜中の2時。
まずは左・・・隣人へ挨拶に
まずはシャイ(紅茶の甘い奴)
とお菓子で1時間。
帰ろうとすると食事を作ったからと延々と夕方までおじゃました。
日本の特に東北でのお茶と漬け物で、おもてなし・・・という感じに似てる。とてもおいしかった。食事に関して何の問題もなし。
右は、めずらしいよっ・・・川原医師とぼく。
ぼくのスーツ姿・・はずかしいから小さくした。
少し公的なパーティーということで日本からスーツ持参。ガッハッハッはっ・・・出発の2日前、あっはは・・・洋服の青山でシャツからネクタイから靴までとにかく一式まとめてチョウダイっという感じでそろえた。実際に見ると少し大人の雰囲気ヨっ!!

おれ? 何しにスーダンに来たんだっけ?と思う図だが、今日はレジストレーションとフォトパーミットが取れたので完璧。ある人はレジストレーション取得だけで1週間要したそうだ。
然るに撮影の準備が整ったということで大収穫の一日であった。

01月31日 (水)   

ただいまぁー。そしてすまんっ・・・。

やはり日記は書けんかった。
毎日、毎日かなりハードなスケジュールで夜はバタンキューの状態。

しかし充実した撮影と、何よりもの充実した体験の第一歩を踏み出すことが出来ました。
あらためてロシナンテスの川原さんを始め、霜田さん、竹友さん、事務局の海原さんに感謝であります。

とりあえずの元気一杯で帰ってきた報告を・・・2月にかけて少しずつスーダンのことは日記に記したいと思っています。
明日からの日記に期待して、待っててチョ。
今日は関係各位にメールと電話で御挨拶。電話握りっぱなしで、耳と手が疲れた。

2月10日から始まるスピッツファンクラブツアーの打ち合わせも開始・・・休んでる暇はないのだ。
いきなり・・・最後空港での別れの図。

左よりロシナンテス川原医師。事務すべての霜田さん。
今回同行していて4月まで滞在の女医の矢野さん。
そしてぼく・・・ぼくの右隣がユニセフ職員の竹友さん・・・彼は戦火のイラクでも復興に尽力された。尊敬できる人物。中東・アフリカにおいてのスペシャリスト。
イラクで亡くなられた外務省職員井ノ上一等書記官とも同じ釜の飯を食べた仲。
そしてぼくのアシスタントとして大活躍してくれた石橋。

ぼくはまた今年の秋に、より深い写真を撮影にまたスーダンに行く決意をしている。