[ 2006年 10月 ]

10月03日 (火)  

あれれっ? の10月。
長いトンネルに入ってましたね。約20日ぶりの日記更新・・・すまん、すまん。。
浜田さんのツアーが始まって、たて続けに新潟遠征にも行って、その4本を仕上げる為にかなりの時間と労力を使ってしまい・・・ついつい日記から遠ざかっていたのだ。
今月のTOP写真は、恒例の? ツアートラック。新潟で撮影したものだ。
来年まで続くツアー・・・これからはじっくりと撮影していこうと思う。

ところで・・・ご報告。
本来なら、アフリカ・スーダン行きまで一週間を切ったところだったが・・・結論から言うと来年の1月に延期になった。

ということで僕はヒマ・・・10月の日程は、前から調整してスケジュールを空けたものだから、突然ボクはヒマとなった。
が、しかし・・・そうはいってもやることは沢山あるので、またまたあっという間に11月になってしまうのだろうけれど・・

ということは、佳境になった「チャングム」も、12日から始まる「コトー」も見れるということで、なんだか変にラッキーと思ってしまっている。

しかし、スーダンを始めとしての一連の活動は一切ぶれてないので、地道に確実に誠意を持って太く長くという気持ちで取り組んでいく所存であるよ。

10月10日 (火)  

またまた一眼レフカメラを買ってしまった。
2台ボディのみ・・・これで、もう何台目になるのだろう。
ぼくはカメラを下取りに出さない。だから溜まっていく一方なのだ。
カメラマン仲間の話を聞くと、結構みんな下取りに出して新しい機材にしているみたいだけれど、僕は下取りに出さない・・・そして出せない・・・っていうか、下取りに出しても僕の機材は、ほとんど傷だらけのボロボロなので下取りに出したところで、たかがしれてると思って出さないのである。
そして若い頃・・・一本のレンズを下取りに出して悔やんだことがあるので、それ以来出さない習慣がついてしまった。
結構・・・ひきづるタイプなのよね。そのレンズは、まだ若く貧しかった頃、とりあえずの1本として買ったものだけれど、そのレンズは、やはりいろいろなところで使ってきたし仕事も掴んできた1本なのよ。
離したときは、そうでもなかったけれど・・・数年して悔やんだ。
それは300mmのF4というやつだったと思う・・・それを300mm/F2.8のレンズに変えた。
そのひと絞りが大切な時期だった。それだけで価格はたぶん5倍から6倍するのだと思う。10万のレンズを60万のレンズに変えた。たった1絞りの為に、300mm/2.8のレンズ。
写真をやっている人は、その差がどれほどのものかは理解できると思う。
だけど、その後悔やんだ・・・F4も持っておけば良かったと・・・。思い出がたくさん詰まったレンズ。
ちょうど浜田さんの1986年J・BOYツアーから1988年FATHER'S SONツアーあたりだったと思う。
ホールツアーからアリーナツアーが増えていった頃・・・飛躍的に望遠の写真画質も上がった。そして他の大きなライブでの撮影も評価され増えていった。
しかしF4で限界が見えてたものの暴力的に撮っていた写真にも力があった。力か?・・美しさか?

そうやって機材一つ一つと戦っている。機材を変えれば、その質感も変わってくる。
フィルムを変えれば、やはり質感も変わってくる。そうやってプロは被写体に対して、想い描くものが何なのか?
で、機材やフィルムをチョイスしている・・・そして偶然の出会いもある。

そして今回・・新しく手に入れた2台はアナログカメラである。
デジタルにまっしぐらの世の中だけれど・・・ぼくは、また新たに2台のアナログカメラを手に入れた。デジタルでも機材は揃っている。すべての仕事は支障なくできる。
そして新たにアナログカメラの充実である。フィルムもどんどん高くなってきている・・・当たり前である。
売れなくなったフィルムは、今や貴重品であるのか? もう必要なくなくなったのか。
しかし・・・アナログも使用するのである。
今や・・・時代の分岐点。デジタルもアナログも両刀使いでバイセクになって使っていくのである。

10月14日 (土)  

いよいよ・・・「Dr.コトー」が始まった。
もちろん全録画体制っ!! 昨日は涙が、5回チョチョぎれた・・・。
さすが「コトー」・・・すばらしいカメラワーク、照明に編集・構成が抜群である。
精神的に緊張感のあるドラマというより、作品。毎週木曜日が楽しみである。

そして、見てた人もいると思うが「24・・シーズン4」・・・つい先日まで放映されていて、ぼくも当然どっぷり。
ストーリー的に、かなり安易な「えーどうして?」「なんで、こんなところでミスするの?」といったアメリカらしい細かいところは気にしない雑さも見えてくる超人気のドラマシリーズだけれど・・・ついつい見てしまい。どうしてもまた次も見てしまう。そんな中でも「孤独」に涙し、僕たちが今抱えている「問題」に対しても考えさせられる。
北朝鮮の核武装のこともある昨今だし・・・

で、おもわずシーズン4の放送が終了したばかりだけれど、その番宣策略通りに僕ははまって、シーズン5をレンタルして、またまた日夜見ているのである。
意志薄弱な僕・・・今日もこれから見る。

そして明けてきょうの夜だけれど「チャングム」がある。
すっかり秋めいた読書のシーズン・・・ぼくはテレビ漬けである。そして物思いにふけるのである。

10月に、ネパール・タイ・カンボジアに行こうとも思ったが、やめた。
すべては来年1月からのスタートシーズンにした。じっくり勉強と熟考の秋にした。

それでは、また・・・「24 シーズン5」を見に行ってきまーす。
おそらく・・・今後のストーリーの中でも出てくるであろう与那国島の通称・六帖ビーチ。
ここを見つけるのは、チトっ・・・むがかしい。
ほんとうにきれいなひっそりとした誰もいないビーチでした。たぶんスペシャルで剛洋が初デートしたあの浜辺だと思う。
・・・おれっ?? ヒョットしてただのオッカケじゃんっ!! ねっ!?
でもほんと、心も身体も洗われる・・・ほんとっ美しい島・・・与那国島じゃった。

10月25日 (水)  

さぁ・・・またまた久しぶりに書き始めるかっ!!
ここのところ数ヶ月・・・どうも日記から遠ざかる傾向にある。
だからして・・・どうしても軽くピョンピョンと弾むように書けなくて構えてしまって、また遠ざかる。

ところで、一昨日23日の夜に拓郎さんの「つま恋」の放送があった。
今年9月23日に31年ぶりに拓郎&かぐや姫で行なったイベントの模様。
1ヶ月遅れの観戦・・・それもテレビで1時間半のダイジェスト観戦。
でも・・・十分に楽しめた。そして何より嬉しかったのは、拓郎さんの美しい顔だった。
カメラマン的に見てなんだけど・・・拓郎さん、いい顔になった。そして声にも張りがある。
ほんとのところは生で聞かないとわからないけれど、善い歳の取り方の60代になった・・・うれしかった。

ぼくは1990年から拓郎を見ていない。アルバムも、ここ10年は買っていない。
1990年・・・1月、「シンプジャーナル」最終号のラストの撮影が拓郎さんの武道館だった。
編集長が、大の拓郎ファンの僕に対しての配慮だったか? どうかは、わからないけれど・・・撮影した。
プロフィールでも触れているが、1985年のつま恋のイベントの時は「シンプジャーナル」で表紙の写真も撮らせていただいた。ファンとしては感無量の渾身の一枚の思い出深い仕事をさせていただいた。

と、同時に感じたのは、「もうこれ以上、拓郎を撮ろうとは思わない」という感覚だった。
もっと次の時代の音も体制も自分に合った感覚への強い要求・・・。
1985年のライブが終わって、実感として一つの時代の終焉を感じていた。
ぼくは、翌年1986年から浜田省吾「J.BOY」に没頭していった。小山卓治にもシオンにも佐野元春にもスタレビにもブルーハーツにも・・・etc、etc。
時代の変わり目だったような気がする。

そして2006年9月23日・・・僕は新潟にいた。
浜田省吾のライブ会場・・・あえて僕は浜田省吾の撮影に行く。それが僕の生き方。

番組でも紹介されていた70年代のシングル、アルバム・・・懐かしい紙ジャケットのレコード。
ぼくは、全部持っているくらいの拓郎信者だった。
僕の知りあいもたくさんつま恋に行った。テレビで見ているとよく知っているスタッフやミュージシャンもいる。
あえて行かなかった奴も知っている。人・・またそれぞれである。

ぼくも一生・・・1ファンであると同時に、ファンでいられない気持ちがある。
僕は僕としての道を行くことがある。

大切なものを受け継いだこともある。蹴っ飛ばして拒否もした。
しかし・・・うれしい。いよいよ60代の僕らの音楽が鳴り始めている。
そこから僕がやっている50代へ、そして40代、30代、20代、10代へと・・・擦れながら、巻き込みながら継承していく。
だから僕は、ケツメイシもPERIDOTSもモンパチも大好きだ。ここ1ヶ月・・10月は、繰り返し繰り返し彼らの音楽を聴き続けていた。
もちろん浜田省吾もSPITZも大大好き・・・というよりも、今となっては心体も身体も同化している感じ?・・・
やはり勝手にブラッド・ブラザーズな感じ。
そこで「・・・あくまでも」、「・・・どんなに遠くても」という気持ちである。

シンガーソングライティング・・・自分で詩を書き、曲を作り、楽器を演奏する音楽たちの道が広がり、長い道へとなっている。
僕が撮っていくアーティストの基本は、シンガーソングライティング・・・自分で詩を書き、曲を作り、楽器を演奏する音楽家たち。作家に頼んで歌を歌うだけの歌手とは、
チトっ・・違う。
ぼくは、これからも自分の考えや感受性を詩に曲に、そして楽器をかき鳴らすアーティストを追い求めていく。

カメラマン田村仁(タムジン)さんや大川奘一郎さんたち先輩から受け継いでいくもの・・・そのことを心において継承する。

それにしても拓郎さん・・・今にして思えば長い髪を切っての40代、50代は、なにか中途半端な感じがしてたけれど
(それでもいい楽曲はたくさん書いていたと思う・・・秘かにチェックし聴いていた)、ここにきてほんとうに顔の相が、すっきりしていて美しい男の顔になった。身体全体からも清い感覚が満ちあふれていた。やっぱチョット・・・イヤイヤかなり悪いオヤジだが。
そのことが、ほんとうにほんとうにうれしい。
これからも健康に気をつけていただいて、これからも長く長く音楽活動をしていただきたいと願う。

よしだたくろう・吉田拓郎 万歳っ!! である。

10月26日 (木) ・・・ほんとは明けて27日夜中の2時くらい 

昨日・・久々にここの日記を更新したと思ったら、今日もなんとなく帰ってきてしまった。
明日もあるし、もう眠いし寝なければいけないのだが、ついついまた書いてしまっている。
そうやってまた書いて、また逃亡の繰り返し・・・まぁ、いっかっ!!

前説が長くなったけれど、ある事があって車を運転したくない気分の中・・・やはり写真撮る為にはロケハンが必要で今日も一日中あっち行ったりこっち行ったりの車の運転で神経弱い僕は、チトっ疲れた。

しかし昨日? ハルコマ・ミソッカスから遠く石垣からの便りをBBSへ書き込んでもらったおかげで、沖縄の海や空気を感じたくなり、夜の8時に帰宅して一杯やりながらミソッカスに電話してみた。
(べつにミソッカスの声を聞いたからと言って中年の男だし・・・沖縄の美しい海のような声をしているわけでもないのだけれど・・・)
しかし「電波の届かないところか、電源が入っていないため・・・」って流れやがった。留守電にもならない。
あまりに悔しいので、自宅に電話・・・彼のかみさんとひとしきり話して少し癒された。ミソッカスは、さっき8時の最終で那覇を飛び立ったらしい・・・。そこから僕の悪い癖が始まった。
連続友達電話かけまくり症候群・・・いつもではなく年に一度くらいある。やく10人の友達に電話して、途中トイレのついでにテレビをつけたら、新庄が泣いていた。日ハム優勝の瞬間だった。それを5分見て・・・また電話。
時計を、ふとっ見ると午後11時・・・その横に木曜日って書いてある。。。
あっ・・・今日は木曜日。あっ夜の10時からは「Dr.コトー」だった。と思った瞬間、ミソッカスから羽田からバスに乗るところ・・・と電話が入った。ひとしきり20分くらいおしゃべりして納得の連続電話症候群の幕は閉じた。

ということで長ーい前説が終わって、これからがいよいよの本題ではあるが、チトっ疲れてきた。
書くべきか? 寝るべきか? 書いても、そんなたいした事は書けないのだけれど・・・やっぱチトっ書きたい。

今日は、やはり日ハムと「Dr.コトー」のおはなし。ごめん・・・写真の話ではない。音楽の話でもない。
ただ感動した・・・まずは日ハム。にわか感動だけれど、便乗感動だけれど、やっぱ感動した。
新庄・・・賛否両論あるあのキャラクター。本人も言ってたけれど、まるで漫画か映画のような見事なエンディング。
やっぱ凄かったなー、素直に感動したのよ。
今回の日本シリーズ・・・ずっと毎試合見てたわけでもないけれど、僕としては大事なところだけ見てたような気がして・・・まずはナゴヤドームでの第2戦・・・1戦目中日が勝って、2戦目もずっと常に中日がリードしてて、何回だったか? 忘れたけれど、まずは新庄がクリーンヒットではなくてライト前にギリギリ落ちる渋いヒットで・・・それでも新庄の満面な笑顔。「アホじゃないっ」とも思ったけれど楽しく楽しく野球を・・・という気持ちも伝わってきて、この日本シリーズの流れを変えた僕的には流れを変えたと思う選手会長の金子の2点タイムリーが飛び出して、新庄のあの必死の転げまくった空中スライディングホームイン。で始めて日ハムリードの展開で・・・乗ってきたな日ハム選手と思った。乗せちゃったな中日・・・やばいな中日と思った。手堅い落合中日・・・でも悪のり得意の日ハムの緊張を溶いてしまったら、もう流れは日ハムでしょう。
そして北海道に帰っての第4戦・・・あの9/24、5回2アウトで降板して監督批判をして、シーズン優勝もプレーオフ優勝もテレビで観戦するしかなかった金村の1ヶ月ぶりの先発・・・大事な第4戦・・・またまた来てしまった5回たぶん2アウトでのピンチ・・・ヒルマン監督がマウンドへ・・・しかし今回は続投・・・そして勝ち投手。大事なシーンを20分間見てしまった。
そして昨日は優勝の新庄涙の瞬間からの5分間の観戦。しかし夜中の野球ニュースを見て、新庄のアホなコメントを聞いてジーンと来てしまった。「いつもいつも、シーズン中もプレーオフも日本シリーズもニコニコしてたのは、僕が少年時代に味わった草野球の楽しさ・・・それを札幌ドームで、その楽しさを伝えたかった」と言ったような気がする。
ディティールは、チトっ違うかもしれないけれど、まぁ大体・・そんな感じ。
ぐっと来ちゃったんだよね・・・思い返せば6月・・・サッカーワールドカップ。
中田は引退した・・・「少年の時に楽しんだ草サッカーに戻りたい。その心を忘れたくない、これからその楽しさを伝えたい」・・・と、この両者の違いわかる?

ぼくは勝手に言っちゃうけれど・・・最後までピッチでグランドで笑顔を見せなかった中田。最後にピッチ上で泣いてた中田の感動的な姿・・・そこで唯一行ったのが、喧嘩もしただろうキャプテン宮本だけ・・だけれど抱きかかえる事も抱擁もなく声をかけに行った宮本。そこがワールドカップで戦いきれなかった・・・一つのチームに成りきれなかったジーコジャパンがあったような気がする。中田の厳しい要求も痛いほどわかる。でもチームがバラバラになった。かろうじて近づけるのはキャプテン宮本。
でねっ・・・今日感じたんだ。だれもが抱擁する新庄ニコニコ。少年のようにプロの現役の中で、あれだけ楽しむ新庄ニコニコ。あー長くなってしまった。まだ詳しくも書きたいけれど・・・それだけのおはなし。あとはよろしく!!

なげーな、「Dr.コトー」までたどり着かないじゃん。
あーもう2時にアップするつもりで書き始めたのに・・・この時点で2時半だよ。
でも書き始めちゃったので、これを逃すとまたいつになるのか? わかんないから・・・あと少しだけ。。。

でもって「Dr.コトー」。どうして毎回毎回あんな事件が起きるかね? たて続けに・・・まぁそりゃ、やっぱテレビドラマなんだから今週はただ平凡な毎日でした・・・とはいかないと思うけれどね。
だけど・・・ほんとリアルで感心する。「あの学校の先生夫婦のことも僕・・・実体験済み。子どもからの純粋な愛情も傷つけてしまった事も・・・ぼく、実体験済み。etc...etc」
実にグサグサと、突き刺さってくるのよね。そしてまた涙が・・・あんなにドラマのようにすべてうまくいくはずない。
ぼく、失敗実体験済み。唯一、コトー先生が成せなかったのは、あきおじだけだものね。あっ後、最初の起こりの大学病院での医療ミス? そこで傷ついてコトーは離島にいったんだよね。しかしうまくいってる・・いき過ぎてるとは思うけれど、許しちゃう・・・やっぱ「Dr.コトー」という番組が好きだから・・・
でもリアル・・・次回の展開だと思うけど、時任さん事故起こしちゃって400万の借金・・・剛洋の市立中学の学費の為の過重労働・・・その行く末のまたまた借金。どこまで行くの、どこまでリアルなの? この番組。
そこまでではないにしても、そこもまた僕、実体験済み・・・トホホであるよ。

ぼくもまだまだ道の途上・・・悩みながら、でもいつもニコニコ。せめての明日を「Dr.コトー」に学ぼうと思った。
涙涙の第3回の放送を、放送後の録画で見たから、こんなに遅くなり、また興奮して日記に記してしまった、
なんてこたない浅い日記になってしまいました。ごめんなさい。
すごーく長いタラタラ日記になったので、たぶん次は逃亡して来月当たりにまたお会いしましょう。
もう午前3時になってしまったので、おやすみなさい。

10月27日 (金)  

あれれっ??? 今日も引き続き・・・書いている僕。
今日は、親友の写真展に行って、親友の編集長とひとしきり飲んで、親友の20年ぶりにあう中学・高校時代の友と飲んで、いま帰ってきた。
どれもが、誰もが・・・必死に生きてて、フリーだろうが、事業主だろうが、社長だろうが、支店長だろうが、サラリーマンだろうが・・・みんなみんな必死に生きている事を実感したし出来た。ぼくも僭越ながら、その一人だと思う。

ぼくは、そんな友がいて嬉しい。しかし友に頼ろうとも思っていない。

我が道を行って、それが・・・どんなことになろうとも尽くすだけ。

かれこれ6時間くらい飲んで、大人の僕は午前様にならぬよう・・・家にたどり着いた。
ただのヨッパライのたわ言で、昨日に引き続き・・・すまんっ。

以上・・・おやすみなさい。今日は、もう寝る・・・たぶん。


と思ったら、またまた宮崎金ちゃんからの電話。僕にとっては、60歳になる血縁も何もないけれど、お兄ちゃん。
自称・・画家。尊敬する画家。
あさって29日に上京するそうな・・・そこで僕は、小山卓治町田ライブがあるので、お兄ちゃんと待ち合わせた。
次の日は、長男金一は仙台に仕事で流れるそうな・・・そこで、またまた次男・あんべちゃまと合流予定という事で、さすがに仙台までは、僕は行けないが・・・そうやって友は流れ流れて行くのであった。
ところで今日飲んでる時に、仙台あんべさんから電話があり、WEB後援会用のページをアップしてくださいとの事で、金ちゃんと電話で話しながら、先程アップしたので、あんべ光俊ホームページにアクセスしてください。

んじゃ・・・今度こそ、おやすみなさい。

10月29日 (日) ・・・ほんとは明けて30日夜中というか早朝5時くらい 

んー、連続しての適当な日記だけど・・・ここ何日か優秀。今日も寝る前に一言・・・

やっぱ小山卓治が好き。よいねー、しびれたよ。
ほんとっ・・・たぶん3年ぶりくらいにライブに行ったのよ。
いつも撮っているイメージの方もいるかもしんないけれど・・・ほんとっ3年ぶりくらい。
何故かと言うと、やはり僕的ケジメっやつ。

2003年にDVD出して、その発売を見届けて、僕はライブの現場から遠ざかった。
その間も、定期的に半年に一度くらい飲んでたけれどライブ現場に行くのは久々。
10月の暇人クラブの内藤くんは、ついに行ってしまった。しかし・・・やはり良かった。

当たり前だけど2003年から1歩も2歩も違った点が見えてくる。

なにせ2003年に及ぶ数年間は、仕上げる為に撮影・編集でどっぷりだったし、小山本人ともほんとに嫌になるくらい頻繁に会ってたからね。その集中した熱を冷ますのに時間がかかった。そんな風に動く映像の時は付き合っていた。いろいろなやり方があるし、あくまでコンスタントに撮っていく方法もあるけれど当時はそこまでとことんやらないと、あのDVDは仕上げる事はできなかった。

やっとゆっくり、また冷静になれてきているのかもしれないね。
年末にかけて、まだまだライブがあるので、また行きそうな予感。趣向のそれぞれ違ったライブを観て、今の小山卓治が立っている位置を確かめたくなった。・・・とはいってもカメラを持って行くわけではない。
ただライブを体感しに行く。そこで・・・もし映像的にひらめいたとしたら、また持つかもしれないし、わからない。

それが、僕の小山卓治に対しての礼儀。

まぁ、やっぱとにかく小山卓治は、僕にとって素晴らしいアーティストだということ。うれしい。

ちなみに金ちゃんは横の部屋で、さっき寝た。そのあと一仕事を片付けてたら、またこの日記にたどり着いてしまった。
明日と言うか、あと5時間後に金一は仙台方面に旅立つので、駅まで送ってやるか!!

だから、もうおやすみ・・・結果的に10月はよく人に会った。機材もたくさん買ってしまった。
後は考えてみれば、来年秋まで大きな休みなし・・・まぁすき間を縫って無理矢理、沖縄海プカプカに逃亡するけどね。