[ 2005年 11月 ]

11月02日 (水)   

遅ればせながら・・・浜田省吾ツアートラックの登場です。

当初、9月のTOP画面にしようと思っていたのですが、ご存じの通りのバタバタで10月も通り越しての11月の登場となりました。今月はこのTOP画面の意気込み通り、ツアー巡りをしたいと思っております。


そして、下の写真はさる10月30日に行なわれた益子ふれあいの郷での歌舞伎舞台初公演の様子。
・・・なんともいいでしょう。この舞台そのものは2年前に50年ぶりに復元されたからくり舞台です。
むかしむかし娯楽の少なかった村々に巡業歌舞伎とともに、このからくりふすま絵を要する舞台がありました。公演のときだけこの舞台は作られます。常設ではなく移動の可能な舞台なのです。そして今回は、地元に伝わる神楽や雅楽、お囃子や和太鼓、そして船生かぶき村一座を招いての芝居と踊り。本格的なこの舞台の使用となりました。
夕暮れからの雰囲気はすばらしい。とても2005年、21世紀とは思えない遠い昔の空気を思い起こさせる
雰囲気で、このような時空間がほんとうに素敵でゆったりとした時間が流れていくのです。
まだまだこの益子ふれあいの郷の活動は続きます。どうぞみなさんも機会を作って訪れてみてください。

11月06日 (日)   

もう、終わってしまったのだが、ハルキの写真展に行ってきた。
そのあとの乾杯からの時間があまりにも長く、写真展の感動より二日酔い・三日酔いのつらさの方が印象に残ったハルキとの久々の飲みだったが、写真と写真展のあり方が刻々と進化・変化してきていると実感したデジタル時代の写真展であった。
・・・でもどの時代でも、どんなカメラ使ってようが最後にくるのはやはりその写真が語りかけてくるものが一番大事なことだよなと思う。100人の撮り手にそれぞれの視点がある。
ハルキの写真展に行く前に、三浦麻旅子の写真展にも行った。
残念ながら本人不在だったが、彼女も10月の写真展に引き続き2ヶ月連続の写真展。精力的な活動であります。ぼくはただの飲んだくれ・・・ふたりの写真屋さんに刺激を少し受けて僕も頑張ろうと少しだけ思った。麻旅子様の写真展は引き続き開催されているので興味のある方は行っちみちくれっ!!
天災ハルキさま・・・「ハイッ気取って偉そうにねっ」「カシャ!!」by携帯カメラくん

11月23日 (水)   

いやはや、ほんと久しぶり・・・前の日記から半月も経ってしまったよ。

なんやかんやとバタバタ、飲み飲み、打ち合わせ・・・撮影・仕上げを繰り返していたら、まぁなんと半月も経っていたのだ。

今日、街で本当にばったりと小山卓治に会ってしまった。ほんとっビックリしてしまった。次の約束の時間までテラテラと1時間あまりお茶したわけで、それをきっかけに久しぶりに日記に向かってみたのである。

その間もいろいろあったよね。
まぁ、一番ひどいのはマンション構造偽装事件だよな。こんな基本的なことさえ出来てないこの国っていうのは、どういうことなんだろうね。まぁ今に始まったことではないけれど・・・いろんなことを綱渡り的にとりあえずの利権で動いている。必要なのかどうかわかんない第2東名とか・・・破綻している国民年金とか、鳥インフルエンザやら・・・人への感染も大変だけど、養鶏業者の人たちは大変だよね。1匹でも感染したら全て処分しなきゃいけないなんて・・・養鶏業続けていけないよね。次から次へと不安が襲ってくる社会ってどうなんだろうね。
そしてそれとは反対に今また景気が上向いてきて、大々的には報道されないけど低金利の中で株をにわかにやって、笑っている人も増えてるみたいだしね。株やっている人にとっては、今は買いだよね。内緒だけど・・・
ヒルズ族に続いてまたまた金が全てみたいな世の中に片方ではなりつつある。
いったいこの国はどうなっていくのだろうと思うね。

でいいニュースと言えば、マラソンの高橋Qちゃんが優勝したこと。
当然生放送で見てたけど、やはり感動したな。ほんとうに勇気をもらえたな。すばらしい姿勢だった。

あとは、やはりサッカーの日本代表vsアンゴラの一戦。
べつにゴールを決めたわけではないけれど、春先の日記でも触れたんだけど、先のヨーロッパ遠征からやっと招集されたフランス・ルマンに所属する松井大輔の登場。やはりキレとスピード・アイデア・貪欲さが人一倍光っている。すごく出てきてくれたことが嬉しい。この調子良さを保ってぜひドイツへ行ってもらいたい。あとは大久保が帰ってきてくれるのを待ち望む。このままじゃドイツで勝てない。なにかもったりしている感じがする。中田さえもったり感を感じてしまった。
もう中田を外して、復帰してくる小野と中村と松井でいいような気もしてくる。戦況によって変わってくると思うけど・・・あとFWは高原・柳沢、ほんとうにいい線いっているんだけど、いまいちもったり感。大久保やら今J1で調子いい若手を呼んでもいいんじゃないか。とも思えてしまったvsアンゴラ戦でした。
でも、松井の台頭はほんとうに嬉しい、嬉しい。昨シーズンからフランスに行っていたけれど、ほとんどニュースにしてくれなかったものな。それが今年の活躍でレギュラーをとり活躍して掴んだ日本代表入り、そしてあの切れのいいプレー。ほんとうに嬉しい。

そしてぼくはツアーの合間を縫っては、ここのところ来年に向けて始める3つ・・・4つのことで人とあったり試行錯誤したりの毎日で、そのどれもがまだ公表出来ないので、ついつい日記から遠ざかってしまうという悪循環にはまっている。
ほとんどツアーの生活と、それ以外の時間は来年に向けてのことをしているので、この日記に書けない。
ツアーのことは書けるが、それよりもその撮影自体に全力であるから、そこもぶれたくないのであまり書きたくないという状態が続いている。なもんで許してチョ。

あたまのなかは書きたいことが充満しているのだが、日記に向かうパソコンの時間がもったいないという状態。仕事では何時間でもパソコンOKの体制をキープしているため・・・もうしばらくこの不定期日記で我慢してください。

それでは・・また。

11月24日 (木)   

昨日、久々にここに戻ってきたら、また今日も書きたくなった。

ので書き綴ってみようと思う。

先日、友人からまたまた悲しい知らせが届いた。

暗い日記になって申し訳ない。今年に入ってからも何人かの同世代の訃報が届いてきた。
この日記に書き綴ったのは、7月のNSPの天野さんの訃報 ・・・あえて、それだけに留めておいた。
あー高田渡さんもだよね・・・。
だけど訃報をいちいち日記に書くことでもないし、極プライベエトなことだし・・・だけどその悲しみの量が決壊してし
まったので書き綴ることで故人を少しでも偲びたいと思う。

ぼくの大切な友人の奥さんが亡くなった。

僕の友人は2つ上で48歳。そして奥さんは僕と同い年だ。
せつなくてせつなくて心が痛い。病気が見つかってあっという間だったらしい。娘さんも息子さんもほぼ僕のところと同じ
で、息子さんもサッカーをやっていた関係上、小学生の時はよくサッカーの試合会場でも一緒だった。何度もお宅にお邪魔し
た。益子に移住してまもない頃にできた親友と呼べる友人の一人。よその土地から来たぼくたちを暖かく家の中に招いてくれた。その暖かい心と友情は一生忘れない。益子での活動もいろいろ一緒にやった。日本酒パーティやらキャンプもした。
いろいろなシーンの顔がよみがえってくる。一番働き盛りの我々・・・そして子供が中学生から20歳あたりの育ち盛りの
うねるような年回りの中で僕たちは止まることも許されず、本当に子供たちのために一生懸命それぞれ働いている。
そんな想いも共通な分、悲しくてせつなくて胸が引き裂かれそうである。

男と女が出会って子供が生まれて、家を作り子供を育てながらあっという間の20数年・・・あまりにも短すぎるし、友人の
心を考えるとせつないし、奥さんのことを思うと涙が止まらない。
そしてこの現実を前に僕の心も整理がつかない。
何日経ってもふとっ、せつない気持ちが一杯になり涙がじわじわと溢れてくる。

本当にここ数年で同世代の訃報の知らせが次から次へと・・・奇跡的に生き抜いていくのは至難のわざだよな。
どんなに悔しかっただろう? まだまだ生きたいと思っても途絶えてしまった生命。それでも僕たちは生かされてる
人間たちで、みんなで子供たちを見守って育てていくしかない。

ほんとうに人ごとに思えないのだ。ほんとうに自分の肉親のように悲しみが溢れている。もう俺、耐えられないよ・・・。
それでもそれでも明日からもまた「生きている」なかで、一生懸命働いて生きていく・・・ただそれだけしかできないの
かな ? 何を心の支えにして何を心根にして我々は生きていくのだろう。
病気というものには逆らえないけど、あまりにも若くして他界していくことが多すぎる。感じ過ぎかもしれないけれど・・

ほんとうにほんとうに心から冥福をお祈りしたい。そしてありがとう。またいつか・・・。

11月25日 (金)   

                いつかまた逢える日がきた時 君に 
                  恥じない日々送ること誓おう青空に・・・


浜田省吾「ある晴れた夏の日の午後に」を繰り返し聴いている。



そして僕は、今日も日記を書く。なぜならヒマ・・だからである。
ぼくの中では、今日から2DAYS・・SPITZ ZEPPTOKYOのはずだった。
今日に備えて昨日はカメラの用意やフィルムの用意をしていて、ある人と電話で話していてどうも話しが食い違う。
完全に25.26日がライブと思っていた・・・いつの間にか???
スケジュール表を見てみる・・・26.27日である。それでもまだ自分の中で疑いが晴れずSPITZの事務所に電話してみる。
笑われながら26.27日で間違いないことを確信。というか確認。
そして僕は今日はヒマ?? さっきあんべさんのサイトも更新した。
そしてまたこの日記に向かっているわけである。・・・・・ナサケナイ・・・おれ・・・ヒマ。


と、いうことで明日からSPITZ ZEPP TOKYO2DAYS。今回のツアーの中でライブハウスに撮影に行くのは初めてなので、かなり楽しみにしている。そして月末は浜田省吾名古屋2DAYS。そして12月に入って、またまたSPITZの沖縄2公演。そして浜田省吾アリーナツアーファイナル2DAYS、埼玉アリーナ。
いよいよ浜田省吾ツアーもSPITZツアーもラストに近づいてきた。12月年末である。そこで今日からたぶん不定期になるだろうけど、浜田省吾2006年度カレンダーの写真について書き綴ってみたいと思う。持ってない人には何のことはないが持っている人にとっては、カレンダーにほんの少しでも愛着が生まれれば嬉しいことである。このカレンダーはデビュー時からの月ごとに年代に分けて写真がふんだんに使われている。田島さんやダニーさんや多くのカメラマンの写真が使用されていて、僕の写真は約90カット。撮り始めた1983年からの写真が各年代別に使用され見ていて、懐かしくもあり「あーあの時はああだったな、この時はこんな事があったなー」といろいろなことが走馬灯のように浮かんできた。あれから23年撮影してきて、ファーストカットに出会えて胸がキュンとなり、ほんとうにカメラマン冥利につきる嬉しい一瞬。まぁ、それも浜田さんがまだまだ現役バリバリで元気に音楽活動を精力的に行っているおかげだけどね。そんな僕の写真ヒストリーを何回かに分けてお伝えしていきますので、楽しみにしてくださいね。
                               

今日は2月、3月あたりについてお話ししましょう。
(ちなみに2005年12月は愛奴の時代の写真、2006年1月はソロになって1970年代の写真が使われております。よって1976年当時私はまだ高校生で広島の田舎者でしたので当然写真は撮っておりません・・・あしからず)

でもって、2月です。
2/1の左のモノクロ写真・・・これが僕の浜田省吾ファーストカットです。
1983年、越ヶ谷そして渋谷公会堂3DAYSからの1枚でございます。
だから、ぼくがまだ23歳? 本当に若い若い時の1枚。あーこんなところで出会うなんて、胸キュンの1枚です。

引き続き2/7,8,17-22は海ノ中道での浜田省吾記念すべきの初野外イベント。
僕たちの意気込みもすごく、ステージができるところから終わった翌朝まで撮影しました。一週間くらい滞在したのかな? 翌朝の朝焼けを海辺で見たコンサート後の充実感はいまでも昨日のように覚えていて、ぼくがライブというものにこだわる原点にもなっている記念すべき素晴らしい初々しい初の野外ライブだった。
特に19,20日の夕焼けの中、浜田さんが手を広げている写真は当時から、ことある度に使われてきた僕の中でも記念碑的な写真。これは、完全に狙ってた通りに撮影できた写真。なにせ何日も前から滞在してたものだから何時何分に日が沈む、どの方向に日が沈むこともわかっていて、浜田さんが夕日に向かって手を広げた瞬間にここしかないタイミングでシャッターを押し狙い通りにとらえられた写真。当時パルコでの写真展開催の時は、パルコの壁面にも使われてすごく嬉しかったことを思い出しました。ただ現場では当時舞台監督さんが怖くて厳しくて、なんどもなんども粘り強く交渉して、曲指定の中やっと許可が下りてステージ上からの写真で「この曲のときにきれいな夕焼けになる」と強く心に念じてズバリだったから余計に嬉しかった。その舞台監督さんも今も浜田さんのツアーで一緒に廻れているという幸福感もこの写真を見ると感じてしまうのです。(それくらいスタッフひとりひとりが誇りを持って仕事をしていることがうれしいのでありますよ・・・交渉が大変だけど)

ひきつづき2/10-11,25,28の写真は海ノ中道のイベント前の6月に本人とメンバー全員で下見に行った時の写真。ホテルからみんなでワゴン車に乗って、ワイワイガヤガヤのドライブな感じで途中、路上商店の車売りでトウモロコシ?やらいろいろ買って、いいお天気なので上半身裸になってみんなでわいわい楽しかったな。
・・・そういえばその日も夜、福岡サンパレスでライブがあったんだよな。と今思い出した。いまでは考えられないスケジュールだよね・・・やはり、みんな若かった。

なかなか2月が終わりませんが、2/14とラストのライブ写真は1983年秋に始まった「ファーストフィナーレツアー」での写真。ニューヨークの街角のようなステージセットがすばらしかった。

そしてやっと3月。こんなこと書いてたら本当に長くなるね。12月までいつになったらたどり着くのだろうか?
カレンダー持ってない人はつまんないよね。まぁそんな時は通販なりライブ会場なりで手に入れてつきあってくださいな。
でもって、3/1の写真は貴重です。今はなき渋谷LIVE INというライブハウスでの写真。このライブは横浜スダジアムでの野外イベントの公開リハーサルだった。
野外ライブのリハをライブハウスで行なうなんて、これも今では考えられないすごいギャップ(空間的に)があるライブだよね。ちなみに3/29,30はそこの楽屋で撮った写真。
そして3/10-11が横浜スタジアムでの写真。1984年4月です。
3/24-25の写真もスタジアムライブのラストの盛り上がりで大量すぎる紙吹雪。
野外だけにあの大量の紙吹雪が風に舞っていってすごくきれいだった。
が、しかしスタッフは横浜スタジアムの人に相当怒られたらしいという記憶があります。
あとこのページでの僕の写真は、3/3,3/20-22・・・いずれも前年からの「ファーストフィナーレツアー」での楽屋だったり、そうだ!! ステージ上には街のセットの中にバイクや車もセットとしてあった。その車の上でポーズをとってもらった。
これらの写真はたぶん1984年2月?の名古屋公演の時かな。

相当、長くなったので今日はこのへんで・・・
しかし、とんでもないことを書き始めてしまった。かなり省いて書いているのだが追いかけているだけで長くなってしまった。途中でやめるわけもいかないので地道に年内終了目指して頑張ります。



追記・・・昨日BBSにいただいた書き込みの返事を下記のように出したのですが、BBSまでくまなくチェックしている人は
少ないだろうと思い、日記の延長みたいな内容なのでここに転記しておきます。BBS No.370より

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> 来年に向けて始める3つ・・・4つの事、
> 何が始まるのか楽しみ〜。
> まだ、ツアーの生活が続くのでしょうか?
> これから、ますます寒くなりますので風邪など
> 引かれませんように。


いつも書き込みありがとうございます。
来年に向けての・・・海を渡ろうとしています。
沖縄ではありません。地球半周くらいのところ。
そこでいろいろ試行錯誤しているのですよ。
やっぱ恐いし・・・しんどそうだし・・・
一度やり始めるとたぶん僕があと残りの半生、ずーと追求していくことになるし・・
ずーと何度も何度も海を渡ることになるし、危険なところも沢山あるだろうし
・・・だから慎重に自問自答しているわけです。
「おまえは本当に心の底からやりたいのか? 途中でひるんだりしないか? 孤独だぞ!!」と次から次へと自問がくるわけで
躊躇しているし、いやいやGOだよ。
とか・・・本気で考えているわけです。ちなみに紛争地帯ではありませんので御心配なく・・・
ただちょっと親戚みたいなところだけど。
で、やるとなったらその関係の方々ともたくさん会わなきゃいけないし、俺これまで音楽写真ばかりやってきたから、
そのあたりはド素人な訳で360゜わけのわかんないわけで、裸一貫ということなのですよ。
当然これからも音楽写真は続けていくわけだし・・・さっきも娘に電話して相談しました。
という結構まじな、でも止めた時には、はずかしいのでまだ公表しません。
という毎日も過ごしているわけです。ツアーに同行しながらも・・・

それでは、また・・・

あっ!! 当然、写真を撮り重ねていく仕事ですよ。

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と、いつもいつも何やら考えている私なのでした。

11月28日 (月)   

26、27日のSPITZ ZEPP TOKYOの撮影を無事終了し、今回は今後のスケジュールと早期写真使用の関係上、超急ぎの特別翌日仕上げで、今日すでに納品を済ませた。
アル中と同じように僕はSPITZサウンド中毒。あのライブ独特の重低音の音圧、そしてメンバーが織りなす4人のサウンドグルーブ感・・・何度・何百回繰り返し体験しても飽きることのないSPITZサウンド。
巷ではそして一般の捉え方は、やもするとSPITZって「やわらかなイメージ」があると思うが、ライブでは全然印象が違うのだ。音圧のある今も確実に進化している鋭いロックサウンドなのであるよ。
そして「やわらかなイメージ」もひっくるめて奥深いのであるよ。
ぜひ機会を作って体験してもらいたい。

さて、明日からは浜田省吾で名古屋入りする。
今日はこれからフイルムや機材の準備をする。日程? 間違ってないよね?。

ところで浜田省吾・大阪を撮影したあと・・・この日記に記したと思っていたのだが書いてなかったのね?
おかしいなー? 
ということで名古屋から戻ってきて記そうと思うが・・・またすぐ沖縄に飛ぶので・・またいつ記すことができるか? 
期待しないで待っててくださいね。

そしてここ何日間の間に、久しぶりに日記に記したこともあって相次いで何通かのBBSをいただいた。
今回はこの日記の方で、お返事を書きたいと思う。

まずはBBS NO.374の杉田様

おぉーマンゴー杉田さんじゃないですか?
このサイトに初の書き込み、ありがとうございました。
5月の宮崎遠征の時は大変お世話になりました。おかげで楽しい旅となりました。
そして、6月の日記にも記させていただきましたが、送っていただいた西都マンゴーは本当においしく、絶品で・・写真を撮るのも忘れてたいらげてしまいました。ぜひ来年マンゴーシーズンになったら、このサイトを利用して宣伝してくださいませ。

追伸3・・来月出張の折、あんべ様とお会いすることに
     なりました。


私も時間が合えばぜひご一緒したいものです。ご連絡お待ちしております。


そして、BBS NO.375、378、379にて、日記の11/24付けに対してのお返事をいただいた。
星子さん、かんよさん、くま髭おやじさん、ありがとうございました。

きっと父は生き続けています。私の中に。
だから、自分を大事にしていきたい。


の星子さんの言葉に、うなづきました。
そうだよね。
ぼくもね・・・24日に日記を書いた次の日のマヌケなヒマな25日に、あまりに突然のヒマなのでテレビ録画していて
まだ見てない番組を見ていて、11/17放送の「天才! 志村けんどうぶつ園拡大版!!」があって、そのなかで映画にもなった・・・たぶん「星になった少年」?というタイトルだったと思うんだけど、その象のランディと坂本哲夢くんとの話があってね。 哲夢くんは13年前に20歳で交通事故で亡くなっていて、ランディは今も生きているの。
そのランディがはっきりと13年前の哲夢くんのことを覚えていて、哲夢くんにしてもらったことも全部ランディは覚えている。哲夢くんの写真を13年ぶりにランディに見せるシーンではランディの目から涙が流れているの。
なにか涙・・・涙のすてきなお話だったんだけど、その番組を見てつくづく思ったんだよね。
人の心にも、動物の心にも、その土地にも、花や葉っぱにもすべてに残っていて継承されていくんだろうね。っと。
「その人が確かに確かに生きたことが・・・」

でもまだぼくは迷いの中に生きているから、そんな現実に直面する度に思い切り悲しい気持ちになるんだけどね。
そんな心も全部抱きしめて生きることが深くなっていくんだろうね。
余談だけど、さっきの哲夢くんの話の中で、あんべ光俊さんの「イーハトーブの風」のインストゥルメンタルが使用されていて、すごく嬉しかったな。・・・こんなかたちでも歌が音楽が浸透していっているんだなーと思って。

ということで、暖かいBBSありがとうございました。これからもよろしくです。

そして余談ではありますが、

あの日記の白黒の老夫婦の写真が素敵です。
場所は?アトランティックシティーの渚のボードウォークでしょうか?ヘリンボンの形が特徴的なので、もしかしたらと?


えー、あの写真は、ニューヨークのコニーアイランドです。
NY市内から地下鉄で30分くらいのところにある海辺のボードウォーク。
当時1ヶ月半くらい滞在した時、都会の喧噪で疲れたとき訪れた場所なのです。ヴァン・モリソンの歌にもあるよね。

それでは、また明日から誇りを持って名古屋入り・・・浜田省吾の撮影に行ってきます。